(2003.5.6up/2024.08.18update)
『藤城遺稿』テキスト訓読書き下し版
藤城詩文鈔
小坂觀海岳
村瀬褧士錦著
堀田皓白石 同校
姪 甒君尊(村瀬雪峡)
上山陽先生 (既刊「二家對策」上巻より 問答18つ)
烏鬼の魚を捕るを觀るの記
香魚は濃國の諸水に皆生ず。而して吾が藍水最も美なり。藍水は郡上を源とし、飛騨・岐岨の諸水と合して桑名の海に入る。桑名に近きもの魚味美(うま)からず。愈よ泝れば愈よ美し。 郡上に至って美きこと極まれり。美きこと極まれるは王公の供御には充てず。是れ藍水を最も美となす所以なり。而して漁人これを捕るに鸕鷀(ろじ)を以てす。 鸕鷀は食を獲てしかも食ふあたはず、佛説の所謂る餓鬼の如し。故に呼んで烏鬼と曰ふ。烏鬼を役する者を鬼主と曰ふ。鬼戸は小瀬・長良の二村に在り、古へより以て貢物を爲す。 又幕府及び尾藩に獻ずと云ふ。鬼主のこれ鬼を使ふや、舟の凡そ五艘若しくは七艘にして、昏夜すなはち發す。先きの月、後の月と、要は月の黒きを期す。遠近の來觀者は甚だ夥し。 或ひは舟に在り、或ひは岸に在り。しばらくして日入りて烟起こり。山水皆昏む。忽ち紅焔の天角を暈(ぼか)すを覩るは、其れ篝(かがり)を點ずる始まり也。漸近而して火柱は數十株。 長戟を樹(た)つる者の如し。篝火水に映じて、上下相連なる也。舟舟舷を撃ち。或は環(めぐ)り或は連なる。近づきて之を視るに、舟ごとに楫師は二人。而して舟頭に一大篝を挑(かか)げ、 側にびくを置く。鬼主二人其の前後に在り。前の者は烏鬼を十一二使ひ、後の者は五六を使ふ。各短索を以て其の咽を纏結し、魚を遽かには下咽せしめざる也。 又長索の丈餘を以て其の[羽]を羈(つな)ぎ、索を握に束ね而して放つ。[糸]を伸すこと意の如し。魚は火光を認めて來る。則ち舷を撃ち之を該(おどろ)かし、魚をして狼狽、 逸(のが)れざらしめず、因って放鬼は之を捕ふる。群鬼乃ち水に沒して魚を驅る。獲ては則ち浮き、浮けば則ち援けて之を吐かしむ。浮くに随ひ援くるに随ひ、前後紛然たり。 其の敏疾たること言ふべからざる也。觀る者之に逼りて、犒(ねぎら)ふに酒を以ってし、以って其の獲を賀す。彼亦た酬ゆるに香魚數頭を以ってす。魚は皆新鮮、斫って盤爼に上せば、 味極めて軟美、氷玉を咬む如し。香魚の状は尖頭細鱗、春後にして生れ、秋後にして死す。大なるは尺に盈ち、小なるは數寸なり。庖治の方は、鮓に宜しく鱠に宜しく炙って宜しく煮て宜しき。 吾州は僻にして山間に在り。夏月に至れば則ち湖鱗海鮮絶えて致すべからず。客に供し酒を佐(たす)くる所以は、獨り此れ有るのみ。但(ただ)遊覽の樂にあらず。[吾]、 此郷に家にあって、之を觀るを得たは纔かに一再次。亦た佳伴の得易からずに由なり。このごろ頼先生の書到り、東遊の舉を預言す。故に其の嘗て覩し所を記し、函丈を呈し、以て其の遊を慫慂して云ふ。
文化十年癸酉夏月。
【欄外】
信侯(牧百峰)云ふ。上半篇は曲折自在。猶ほ鬼主の鬼を使ふごとし。
又云ふ。王侯の泛詞(空白部分)は、必ずしも闕字ならず。
世張(後藤松陰)云ふ。“不充”云々は、恐らく明を欠かん。
又云ふ。時下注解語妙なり。蓋し孟子に本づく“[絳−糸+水]水洪水也”、“泄泄猶沓沓也”、“庠者養也”云々等か。
又云ふ。“餓鬼云々”人をして笑はしめんと欲す。
又云ふ。機(後藤松陰)も嘗って烏鬼を觀る詩有り。其れ之を觀るや、郷人の烏江勘兵衛と倶にした也。勘兵衛は即ち烏鬼の船問屋也。事は今壬子(嘉永5)を距つこと幾十年なり。
信侯云ふ。“頃焉”云々。改作以って“日の入るを待って。既にして暮烟漸く合し。山水皆昏む。”とせば、較(やや)圓く備はるに似たりか。
又云ふ。“漸近”の“漸”、更に“稍”の字に作らん。
又云ふ。“其咽”の“咽”。當に“頸”字に作るべし。
又云ふ。“束索”は“束末”に改作せば如何。
龍(小石玄瑞)云ふ。此篇を以って詩と爲さば、即ち韓公の「叉魚」。「叉魚」を以って文と爲さば。即ち此篇たり。
觀烏鬼捕魚記
香魚濃國諸水皆生焉。而吾藍水最美。藍水源於郡上。合於飛騨岐岨諸水。而入桑名海。近桑名者。魚味不美。愈泝愈美。至郡上美極矣。美極者不充 王公供御。是藍水所以為最美。 而漁人捕之以鸕鷀。鸕鷀獲食焉而不能食。如佛説所謂餓鬼。故呼曰烏鬼。役烏鬼者曰鬼主。鬼戸在小瀬長良二村。自古以爲貢物。又獻幕府及尾藩云。鬼主之使鬼也。 舟凡五艘若七艘。昏夜乃發。先月後月。要期月黒。遠近來觀者甚夥。或在舟。或在岸。頃焉日入烟起。山水皆昏。忽覩紅焔暈天角者。其始點篝也。漸近而火柱數十株。如樹長戟者。 篝火映水。上下相連也。舟舟撃舷。或環或連。近而視之。毎舟楫師二人。而挑一大篝於舟頭。側置[竹+令][竹+省]。鬼主二人在其前後。前者使烏鬼十一二。後者使五六。各以短索纏結其 咽。不使魚遽下咽也。又以長索丈餘羈其[令+羽]。束索於握而放焉。伸[糸+檄−木]如意。魚認火光而來。則撃舷該之。使魚狼狽不逸。因放鬼捕之。群鬼乃沒水驅魚。獲則浮。 浮則援而使吐之。随浮随援。前後紛然。其敏疾不可言也。觀者逼之。犒以酒。以賀其獲。彼亦酬以香魚數頭。魚皆新鮮。斫上盤爼。味極軟美。如咬氷玉。香魚状尖頭細鱗。春後而生。 秋後而死。大者盈尺。小者數寸。庖治之方。宜鮓宜鱠宜炙宜煮。吾州僻在山間。至夏月則湖鱗海鮮絶不可致。所以供客佐酒。獨有此耳。不但遊覽之樂。褧家於此郷。得觀之纔一再次。 亦由佳伴之不易得也。日者頼先生書到。預言東遊之舉。故記其所嘗覩。呈函丈。以慫慂其遊云。
文化十年癸酉夏月。
【欄外】
信侯云。上半篇曲折自在。猶鬼主使鬼。
又云。王侯泛詞。不必闕字。
世張云。不充云々。恐欠明。
又云。時下注解語妙。蓋本孟子[絳−糸+水]水洪水也。泄泄猶沓沓也。庠者養也云々等乎。
又云。餓鬼云々。使人欲笑。
又云。機嘗有觀烏鬼詩。其觀之也。與郷人烏江勘兵衛倶也。勘兵衛即烏鬼船問屋也。事距今壬子幾十年矣。
信侯云。頃焉云々。改作以待日入。既而暮烟漸合。山水皆昏。較似圓備。
又云。漸近之漸。更作稍字。
又云。其咽之咽。當作頸字。
又云。束索。改作束末。如何。
龍云。以此篇爲詩。即韓公叉魚。以叉魚爲文。即此篇
訓読は西部文雄著「藤城遺稿補注」(1999年私家版)に殆ど従った。 中嶋識