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『藤城遺稿』テキスト訓読書き下し版

藤城詩文鈔

                               小坂觀海岳
    村瀬褧士錦著                   堀田皓白石      同校
                               姪 甒君尊(村瀬雪峡)


p1

白山遊稿

六月十二日発程、途上

○蒼藤の古木、夏雲生れ、
上に丹崖ありて、一桟横はる。
鳥は張顛※の書法を破って去り、
人は范緩※の画図を穿ちて行く。

【欄外】
米顛倪迂(米元章と倪元鎮)は、昔人、已に対す。然れども此の語の奇にして声の協(かな)ふに如かざる也。

※張顛 = 張旭(唐代書家、草書に巧なるも奇行多く、草聖、張顛と呼ばれた。)
※范緩 = 范寛 = 范中正(宋代画家、山水描写に巧。台北・故宮博物院の「名蹟谿山行旅図」が有名。)

行き倦(つか)れて牀を借り、翠微に眠る。臥して知る、嵐気、征衣に滴るを。鈴鈴たる金策、前路を導く。夢は岳雲深き処に向って飛ぶ。

六月十二日發程途上

○蒼藤古木夏雲生。上有丹崖一棧横。鳥破張顚書法去。人穿范緩畫圖行。
【欄外】
米顛顚倪迂昔人已對。然不如此語奇而聲協也。

行倦借牀眠翠微。臥知嵐氣滴征衣。鈴鈴金策導前路。夢向岳雲深處飛。


亀年長老を訪ふ二首

○○溯して渓路の賖(はる)かなるを覚えず。路回りて忽ち遠公の家に到る。山遊将に三生の願ひを了せんとす。先づ禅房に就いて炙茄(炙茄会しゃかえ:斎会の一つ)を喫す。

【欄外】
甚だ佳し、甚だ佳し。
茶山云ふ。「炙茄」の詩に入る、一たび道光師の巻中に見る。今再び之を見る。
世張云ふ。「茄串」蓋し寒山子の典故なり。長老に切なり。

山窗、復た水雲の蒸す無く。城中の蚊の鷹の若きに似ず。竹柏交(こもご)も加ふ、一庭の月。主賓、榻を下りて層冰を歩む

訪龜年長老二首
○○不覺溯溪路賖。路囘忽到遠公家。山遊將了三生願。先就禪房喫炙茄。
山窗無復水雲蒸。不似城中蚊若鷹。竹柏交加一庭月。主賓下榻歩層冰。
【欄外】
甚佳甚佳。
茶山云。炙茄入詩。一見道光師巻中。今再見之。
世張云。茄串蓋寒山子之典故。切長老也。


路、群城を過ぎて山水穏秀。下流の険絶なるに類せず。其の境は酷く嵐嶠(京都嵐山)の諸勝と相ひ肖(に)たり。

翠城の北のかた、去って平坡を得。却って覚ゆ青山の温且つ和なるを。一洗す、昨来の沿路の険。渓光は彷彿として嵯峨に似たり。 群城。一に曰く「積翠城」と。

路過群城。山水穏秀。不類下流險険絶。其境酷與嵐嶠諸勝相肖。
翠城北去得平坡。却覺覚青山温且和。一洗昨來沿路險険。溪光彷彿似嵯峨。 群城。一曰積翠城。


途上

野店溪樹に因る。客眠、一たび覚め回る。眠り回りて時に一笑。真に是れ「流れに枕」して来る。

雲嵐、千万堆く。財(わづ)かに一渓を認めて行く。深山、人、尚ほ住まへり。水碓(水車)又た声を為す。

途上
野店因溪樹。客眠一覺囘。眠囘時一笑。眞是枕流來。
雲嵐千萬堆。財認一蹊行。深山人尚住。水碓又爲聲。


長瀧寺
      寺は養老の間、泰澄大師の開く所と為す。仏像、土木、皆な千余年の物にして又、宋版の諸経有り。亦た観るべし。

北行の両日、崔嵬を陟る。老刹、依然として紫翠堆し。山は奔泉を掛く、廬阜(廬山)に類し、寺は宗派を伝へて天台を説く。金仙(仏のこと)の香火、魚鑰(蔵の鍵)を披き、宝蓄の展観、 麝煤(香)を薫(くゆ)らす。寧楽の盛時は此地に開きし、泰師の遺業、未だ全くは頽れず。

【欄外】
世張云ふ。「派」字は両韵否なり。

長瀧寺
      寺爲養老間泰澄大師所開。彿像土木皆千餘年物又有宋版諸経。亦可観。北行兩日陟崔嵬。老刹依然紫翠堆。山掛奔泉類廬阜。寺傳宗派説天台。金仙香火披魚鑰。 寶蓄展観薫麝煤。寧樂盛時開此地。泰師遺業未全頽。
【欄外】
世張云。派字。兩韵否。


弥陀瀑 吾が郷の藍川(長良川)。此を以て源と為す。

源頭の活水、建瓴(甕をひっくり返すやうに)して来る。長く下流を挹(く)んで門外に(めぐ)る。豈に是れ尋常の濫觴と比べんや。銀河倒まに掛りて轟雷を聴く。

彌弥陀瀑 吾郷藍川。以此爲源。
源頭活水建瓴來。長挹下流門外。豈是尋常濫觴比。銀河倒掛聽轟雷。


亀年長老、知常道士、及び京人利兵と同(とも)に白山に登る。時に文化甲戌(11年)六月十四日也。

白山、雲鎖して万重重たり。登陟自ら誇る、鞋韈の雄を。翠雨、夜流る、青、[石韱]磹(稲光)。赤㬢曉に動く、碧、玲瀧。風餐霊草、仙花の下。露宿す、 層氷積雪の中。絶頂、笙鶴の近づくに呼ばんと欲すれば、一たび高語に従ひて、蒼穹に響けり。

炎炎の時節に春栄を認む。一目居然として百媚(の花)明るし。嵒畔、行きて看る花草の艶。樹陰、立ちて聴く燕鴬の声。浮浮たる雲霧は笠檐を過ぎ、隠隠たる風雷は鞋底に鳴る。 (京都の)鴨岸の涼棚は奇玩を聚めるも、長夏(6月)に芳桜を見ること有りや無しや。

【欄外】
世張云ふ。二聯並びに奇。並びに妙。

貪り看る、万嶺の虚廷(大空)に列するを。吟身の窅冥(ようめい杳冥)に在るを覚えず。眼底に雲蒸して衆界を埋め。手中の天近くして群星を摘(ひろ)ふ。 奇花の開く処、雪猶ほ白く、怪鳥の栖む辺り、松僅かに青し。気は詩脾に沁み、清きこと絶(きは)まらんと欲し、擬するに新句を将(もっ)て精霊(詩派)を試む。

【欄外】
世張云ふ。亦た上に同じく前聯尤も開合有り。特に妙。
又云ふ。這の恠鳥、乃ち[疊鳥](かささぎ)に類すること無からん。

與龜亀年長老知常道士。及京人利兵同登白山。時文化甲戌六月十四日也。
白山雲鎖萬重重。登陟自誇鞋韈雄。翠雨夜流音[石韱]磹。赤㬢曉動碧玲瀧。風餐靈草仙花下。露宿層氷積雪中。絶頂欲呼笙鶴近。一從高語響蒼穹。
炎炎時節認春榮。一目居然百媚明。嵒畔行看花草豔。樹陰立聽燕鶯聲。浮浮雲霧笠檐過。隠隠風雷鞋底鳴。鴨岸涼棚聚奇玩。有無長夏見芳櫻。
【欄外】
世張云。二聯竝奇。竝妙。

貪看萬嶺列虚廷。不覺吟身在窅冥。眼底雲蒸埋衆界。手中天近摘群星。奇花開處雪猶白。怪鳥栖邊松僅青。氣沁詩脾清欲絶。擬將新句試精靈。
【欄外】
世張云。亦同上而前聯尤有開合。特妙。
又云。這恠鳥。無乃[疊鳥]類乎。


十五日、岳を下り、杉本氏の林泉亭に宿る。

階前に榻を移ろし泉鳴を聴く。雲欠けて氷輪(月)、檐際明るし。誰か料らん、深山万木の底、又た満壁の誦絃の声を聞かんとは。

双脚に繭(あしまめ)生ずるは絶巓よりす。帰りて渓閣に投ず、翠微の辺。深雲は籠罩(ろうとう:とじこめる)す、三竿の日(午前8時頃)。 故に誤って倦人(長旅の人)をして暁眠を貪らしむ。

十五日下岳。宿杉本氏林泉亭。
階前移榻聽泉鳴。雲缺氷輪檐際明。誰料深山萬木底。又聞滿壁誦絃聲。
雙脚繭生從絶巓。歸投溪閣翠微邊。深雲籠罩三竿日。故誤倦人貪曉眠。


此の行、亀年長老を拉して、悟竹院に往き再宿す。此に留り別を為す。院は乃ち長老の新住なり。

超然たる聯踏、凡塵を出づ。香積(香飯)両階清浄因。一夏煙炊す新しき院主。半間(ささやかな部屋)雲宿す、旧き山人。賦成りて擲地、声須らく試むべく、羽化登仙して迹は未だ陳べず。 掻首して今従(よ)り夢想を労すれば、北天独り雪の嶙峋のみならんや。

此行拉龜亀年長老。往悟竹院再宿焉。留此爲別院乃長老新住。
超然聯踏出凡塵。香積兩階囘清浄因。一夏煙炊新院主。半間雲宿舊山人。賦成擲地聲須試。羽化登仙迹未陳。掻首從今勞夢想。北天不獨雪嶙峋。


〇〇畫鶴
群雛、頸を交へて仙真を養ひ、共に三珠の樹(珍木)上の春を占む。一双、騎を借るに那(なん)ぞ曽(すなは)ち惜まん。青溪、易を読むに更に人なし。

【欄外】
作家の手段。意に命じ、字を下す、並びに佳し。吾が士錦毎に箇般の詩を作す、則ち吾党の生色と為るに足る。珍重珍重。

〇〇畫鶴
群雛交頸養仙眞。共占三珠樹上春。一雙借騎那曾惜。青溪讀易更無人。

【欄外】
作家手段。命意下字竝佳。吾士錦毎作箇般詩。則足爲吾黨生色。珍重珍重。


間窗芭蕉圖

夜雨蕭騒、夢成らず。疎疎密密四檐の声。同窗兼せて芭蕉の在る有り。話は尽きて錦城七載※の情。 ※蜀の錦官城7年夜雨なき故事。

間窗芭蕉圖
夜雨蕭騒夢不成。疎疎密密四檐聲。同窗兼有芭蕉在。話盡錦城七載情。


山水小景

高磴、登りて復た登り、閑かに山頭の寺に倚る。貪り看る、風帆の行きて、巾紗、晩翠を染めるを。

【欄外】
三、四、詩人の語。

山水小景
高磴登復登。閑倚山頭寺。貪看風帆行。巾紗染晩翠。
【欄外】
三四詩人語。


子規(ほととぎす)。西土の人、諸(これ)を春に愁ふ。此れ間(まま)諸を夏に喜ぶ。各詩歌に見る。「栲亭集」中に已に之を言ふ。甲戌(文化11年)四月十八日夜、知常道人宅に会す。林月皎然として忽ち一声を聞く。即ち二絶を得る。一愁一喜は、並びに彼此の例也。

【欄外】
世張云ふ。(江森)月居の俳句に云ふ。ほととぎす。歌のみ之を恋ふこと久しく、詩のみ之を悲しむと。

書燈を吹き滅して月明に坐す。交加樹影半庭清。勝春淺浅夏山中宿。欣聽聴啼鵑第一聲。

想ふ、昔、勢南の客蓬に棲(やど)りしを。暗潮夢を打ちて夢空と為す。連夜の杜鵑、帰去を勧む。幾声かの啼血、雨濛濛たり。

子規。西土人愁諸春。此間喜諸夏。各見詩歌。栲亭集中已言之矣。甲戌四月十八日夜曾知常道人宅。林月皎然忽聞一聲。即得二絶。一愁一喜。幷彼此之例也。

【欄外】
世張云。月居俳句云。保登登幾須。歌耳戀之久。詩耳悲之。

吹滅書燈坐月明。交加樹影半庭清。勝春淺浅夏山中宿。欣聽啼鵑第一聲。想昔勢南棲客蓬。暗潮打夢夢爲空。連夜杜鵑勸辟歸去。幾聲啼血雨濛 濛。


読史

京を成皐に索めて敗績頻りなり。他(また)良相、余民を送るを喜ぶ。沐猴、何事ぞ、烏江に艤(舟よそほひ)す。羞ず、子弟八千人を収むるを。※項羽の最期

【欄外】
世張云ふ。其の意新し。其の造句、奇欠くるを恐る。

重瞳、爛たりと雖も亦昏昏たり。市上少年何ぞ論ずるに足らん。但だ見る、淮濱(淮水)砂礫の裏。人有り一飯、王孫を識る。

【欄外】
世張云ふ。落想妙なり。用筆、煉を欠くを恐る。

冠玉瑩瑩たり、中固に真なり。才を忌む絳・灌(漢・高祖の臣、絳侯周勃と灌嬰)、彼何人ぞ。又た新帝をして遺恨有らしむ。空しく半霄に坐して鬼神を論ず。

【欄外】
世張云ふ。亦た妙。亦た煉を欠くに似たり。

狗を屠ふる英雄(樊噲)、老気横たふ。当時十万横行を欠く。茲より沙漠にして兵氛合し。鬼哭啾啾として夜、声を聴く。

【欄外】
世張云ふ。白登にて囲まれる後。皆是の物なり。

讀史

京索成皐敗績頻。喜佗良相送餘民。沐猴何事烏江艤。羞収子弟八千人。
【欄外】
世張云。其意新。其造句恐欠奇

重瞳雖爛亦昏昏。市上少年何足論。但見淮濱砂礫裏。有人一飯識王孫。
【欄外】
世張云。落想妙。用筆恐欠煉。

冠玉瑩瑩中固眞。忌才絳灌彼何人。又教新帝有遺恨。空坐半霄論鬼神。
【欄外】
世張云。亦妙。亦似欠煉。

屠狗英雄老氣横。當時十萬欠横行。從茲沙漠兵氛合。鬼哭啾啾夜聴聲。
【欄外】
世張云。白登被圍後。皆是物也。


○○乙亥(文化12年)新正。立斎弟帰覲(ききん:帰省)。事を書す。

門巷微和(暖か)にして柳、煙を帯ぶ。団欒家醼(家の宴)して新年を楽しむ。刀圭(医術)寧ぞ必しも医国(名医)と為さん。寵辱、応に須らく只だ天に聴くべきのみ。風雨に吾は憶ふ、 知る幾度か。茱萸、汝を欠く亦た多年。一欣一懼、何事にか縁る。阿叟(年寄り)垂垂として雪、巓に満つ。

【欄外】
対仗(五句と六句が対句)精練なり。

○○乙亥新正。立齋斎弟歸覲。書事。

門巷微和柳帶煙。團欒家醼樂新年。刀圭寧必爲醫國。寵辱應須只聽天。風雨憶吾知幾度。茱萸欠汝亦多年。一欣一懼縁何事。阿叟垂垂雪滿巓。
【欄外】
對仗精練。


○新正九日、南村(美並村)を過る。

嫩日の微風、出門を催され、青鞋布韈(旅装)、幾たびか村を過ぐ。半川の柳縷、猶ほ力なく、一塢の梅花、正に返魂(返魂香)。

【欄外】
烹錬の功を見る。

○新正九日過南村。

嫩日微風催出門。青鞋布韈幾過村。半川柳縷猶無力。一塢梅花正返魂。
【欄外】
見烹錬之功。


○(佐藤)一斎先生の廻文の作に次韻す

霞、連峰を断ちて衆鳥帰り。賞遊閑歩、独り熙熙たり。家居酔ひを楽む、春[竹芻]の酒。野望徐ろに吟ず、晩興の詩。花逕に風颺(あ)がり芳靄靄。 楊坡に煙裊(たほや)かにして煖糸糸。紗巾、翠を染めて軽笻緩やかなり。斜照夕嵐、晴日遅し。

【欄外】
四顚八倒、語として妙ならざるなし。強策虧け漏る。為すなき也。
世張云ふ。回読して却って妙を覚ゆ。

○次韻一齋先生𢌞文作

霞斷連峰衆鳥歸。賞遊閑歩獨熙熙。家居樂醉春[竹芻]酒。野望徐吟晩興詩。花逕風颺芳靄靄。楊坡煙裊煖絲絲。紗巾染翠輕笻緩。斜照夕嵐晴日遲。
【欄外】
四顚八倒無語不妙。強策虧漏。毋爲也。
世張云。囘讀却覺妙。


○○病起絶句

深居して病を養ふ、五旬強。知り得たり、新篁すでに墻を過ぐるを。香盌、烟消えて、薬爐冷やかなり。一窗の風雨、昏黄に臥す。

【欄外】
病中光景。写し得て著切たり。実歴にあらざれば其の境、知らざる也。

幽齋閉戸して敲推(詩稿の推敲、もしくは門人の来客)を絶つ。一病、吾が百念をして灰たらしむ。荒檐に鴉噪ぎ、晨燈は尽き、深巷、雞啼いて午飯来る。

【欄外】
世張云ふ。云ふ所の「病ひに因りて閑を得」。羨むべし。

○○病起絶句

深居養病五旬強。知得新篁已過墻。香盌烟消藥爐冷。一窗風雨臥昏黄。
【欄外】
病中光景。寫得著切。非實歴其境不知也。
幽齋閉戸絶敲推。一病教吾百念灰。荒檐鴉噪晨燈盡。深巷雞啼午飯來。

【欄外】
世張云。所云因病得閑。可羨。


六言

旧遊徒らに藤杖を指す。羸病空しく竹関を扃ざす。斗帳、人をして幻夢を悩ましむ。画屏我が江山を囲む。

【欄外】
世張云ふ。閑中の富貴。

蒲団兀兀として褐を披る。茅屋蕭蕭として扉を掩ふ。日に唐詩を誦して悶を遣り、時に晋帖を観て饑を救ふ。

【欄外】
世張云ふ。公、必ずや米帖(米芾帖)を乞ふ者と作(な)ることあらず。

六言

舊遊徒指藤杖。羸病空扃竹關。斗帳惱人幻夢。畫屏圍我江山。

【欄外】
世張云。閑中富貴。
蒲團兀兀披褐。茅屋蕭蕭掩扉。日誦唐詩遣悶。時觀観晉帖救饑。

【欄外】
世張云。公必非作乞米帖者。


〇事を書し台嶺(勾田台嶺まがたたいれい)画伯に懐を寄す。画伯、余と再訪の約有り。未だ果さざるに余の病ひ作(おこ)るに会ふ。故に云ふ。

後園に臥病して柴扉を掩ふ。人語鷄声、耳に到ること稀なり。小鼎、烟を生じて朝、薬を煮、疎窗、雨を聴きて夜、衣を添ふ。壁間山水、君が画を掛け、 牀上の夢魂、我をして依らしむ。幾日か逢ひ迎へ聯歩し去り、共に遊ばん、藍水(長良川)の旧漁磯。

〇書事寄懷臺嶺畫伯 畫伯有再訪余約。未果。會余病作。故云。後園臥病掩柴扉。人語鷄聲到耳稀。小鼎生烟朝煮藥。疎窗聽雨夜添衣。壁間山水掛君畫。牀上夢魂教我依。 幾日逢迎聯歩去。共遊藍水舊漁磯。


晦嵒禅師の莫問吟十首に次韻す。

  乙亥の夏、晦嵒禅師、洛東の某寺の会に応化し、面せざること数月、而して僕、病をもって伏枕す。枕側の一小屏に、禅師の手写せる有り。其れ嘗て洛東に寓するの時、 乃ち唐の僧、齊已の「渚宮作旧製(渚宮莫問詩十五篇)」に傚ふなり。各々「莫問」の字を十首に弁ず。聞く、静古老人、嘗て「欲問」の字を以て之に和せんことを約すと。而して未だ果さず。 僕今病余聊(りょう:たのしみ)亡し。試みに代りて老人の志を成し、遙かに禅師に呈し、兼ねて老人を懐ふと云ふ。

問はんと欲す、山中の法を。法門、別に奇無し。堂は大乗会を標し、寺は小清規(禅宗の法度)を奉る。此の家風の妙を将って、他の世道の危を救ふ。機は何所に関り在るか。 雲起き水窮る時なり。爾時(その時)師、『永平清規』上木の役を董(とりしま)る。故に云ふ。

問はんと欲す、留め去るを兼ねるとは。悠悠として到る処の家、鉢盂(食器)閑かに独り享く。山水美、誰れか加へん。茶鼎、潭月を斟(く)み、香壇、洞花倚(よ)る。扁題、方丈の室。 真に箇の別生涯。老師、其の居に扁して、常に曰く、「別に生涯を作す」と。

問はんと欲す、当年の事を。洛東の緒業(始めた仕事)長ず。心耕、古冊を探り、腹藁、新章を著す。倶猟樹(不詳)、重り茂り、優曇花、復た芳し。規を撰び丈済を追ひ。 今昔且らく斟量せん。「丈済」、百丈・臨済(中国高僧)を曰ふ。

問はんと欲す、岡碕の地を。笏盧、軟莎に繚(まつ)はる。寧ろ人語の鬧がしきを聞き、応に野情の多きを覚ゆべし。乳燕、春秋の社。喧蜂、旦暮の衙。行禅の暇際を意ふに、 何の処か陽和ならざらん。

問はんと欲す、僑居の邃(おくぶか)きを。詩禅、日に策功。渚宮、思ひ已に老ゆ。淮甸(わいてん:淮水地方)崇公に擬す。端硯(端渓硯)、松間の露。湘簟(湘竹で編んだむしろ)、 槐下の風。初涼、一に何ぞ快き。清気、脾中に入る。

問はんと欲す、家伝の妙。新たに篇む、邱壑の情。人天に異義無し。鴎鷺に同盟有り。水韻は広長舌にして、螢光は好短檠たり。心心は何の記す所ぞ、霜頴(そうえい)と玄泓(げんおう)なり。

問はんと欲す、琳宮(道教の寺)の僻。雲林、趣きは疎ならず。微拳の野蕨を収め、暖甲(芽)の園蔬を摘む。妙墨(書道)は参禅の暇にして、佳聯(作詩)は睡夢の余なり。 松窗、山月上り、皎皎として仙書を照す。

【欄外】
後聯、切なり。

問はんと欲す、焚修(香を焚いての修行)の暇を。唱酬は方外に成り、詩は窮す老尊の宿。禅病古先生。即ち是れ心に礙(さまた)げ無く、豈に其れ不平を鳴らさんや。 当時、支許(支伯と許由:隠者)の誼み。誰か復た芳声を続けん。

【欄外】
儒と釋を合せて一聯を篇す。大いに力有り。

問はんと欲す、心、空に在るを。煩痾、二月強。燕泥、硯匣を霑し、鼠迹、書牀に上る。夜坐、仙薬を烹、晨興(早起き)、道香を拈(つま)む。禅壇、其の室邇(ちか)く、雲樹、夢空しく長し。

問はんと欲す、師の消息を。病余、始めて関(かんぬき)を啓く。軟軽の新白紵、開豁の旧青山。溪樹の陰十畝、窗蕉の影半間。人の共に真意なるは無く、笏で(ほほを)拄(ささ)へ、 禽の還るを見る。(拄笏看山:風雅な高官の仕草)

【欄外】
病余の光景なり。
世張云ふ。結句大いに力有り。

次韻晦嵒禅禪師莫問吟十首。

  乙亥夏。晦嵒禪師應化洛東某寺之會。不面數月而僕以病伏枕。枕側一小屏。有禪師手寫。其嘗寓洛東時。乃傚唐僧齊已渚宮作舊製。各弁莫問字十首。聞靜古老人。 嘗約以欲問字和之。而未果。僕今病餘亡聊。試代成老人之志。遙呈禪師。兼懷老人云。

欲問山中法。法門無別奇。堂標大乘會。寺奉小清規。將此家風妙。救佗世道危。機關何所在。雲起水窮時。爾時師董永平清規上木之役。故云。

欲問留兼去。悠悠到處家。鉢盂閑獨享。山水美誰加。茶鼎斟潭月。香壇倚洞花。扁題方丈室。眞箇別生涯。老師扁其居。常曰別作生涯。

欲問當年事。洛東緒業長。心耕探古册。腹藁著新章。倶獵樹重茂。優曇花復芳。撰規追丈濟。今昔且斟量。丈濟。曰百丈臨濟。

欲問岡碕地。笏盧繚軟莎。寧聞人語鬧。應覺野情多。乳燕春秋社。喧蜂旦暮衙。意行禪暇際。何處不陽和。

欲問僑居邃。詩禪日策功。渚宮思已老。淮甸擬崇公。端硯松間露。湘簟槐下風。初涼一何快。清氣入脾中。

欲問家傳妙。新篇邱壑情。人天無異義。鷗鷺有同盟。水韻廣長舌。螢光好短檠。心心何所記。霜頴與玄泓。

欲問琳宮僻。雲林趣不疎。微拳収野蕨。暖甲摘園蔬。妙墨參禪暇。佳聯睡夢餘。松窗山月上。皎皎照仙書。
【欄外】
後聯切。

欲問焚修暇。唱酬方外成。詩窮老尊宿。禪病古先生。即是心無礙。豈其鳴不平。當時支許誼。誰復續芳聲。

【欄外】
合儒釋篇一聯。大有力。

欲問心空在。煩痾二月強。燕泥霑硯匣。鼠迹上書牀。夜坐烹仙藥。晨興拈道香。禪壇其室邇。雲樹夢空長。

欲問師消息。病餘始啓關。軟輕新白紵。開豁舊青山。溪樹陰十畝。窗蕉影半間。無人共眞意。拄笏見禽還。
【欄外】
病餘光景。
世張云。結句大有力。


三輪村後藤氏の後園

秋陽、明麗にして簾幃に射す。僮僕、田に下って過客稀なり。知んぬ是れ、暁川の西走の艇。一帆、忽ち樹梢に向ひて帰る。  橘村の廿余船。皆朝に下り暮に上る。見る所また是なり。

三輪村後藤氏後園

秋陽明麗射簾幃。僮僕下田過客稀。知是暁川西走艇。一帆忽向樹梢歸。  橘村廿餘船。皆朝下暮上。所見亦是。


十月晦夜。二故人と同(とも)に一酒家に抵り、壁上、余の旧題を認む。屈指すれば七年、覚めて絶句を得たり。

誰か紅袖([酒家の]美女)をして題詩を払はしむ。旧事瞢騰(ぼうとう:ぼんやり)七歳移る。夢は空堂に断ちて、夜は水の如し。酒醒め、燈冷やかに、雨来る時。

【欄外】
清人に似たり。

十月晦夜。同二故人抵一酒家。壁上認余舊題。屈指七年矣。覺而得絶句。

誰教紅袖拂題詩。舊事瞢騰七歳移。夢斷断空堂夜如水。酒醒燈冷雨来來時。
【欄外】
似清人。


知常道士の「南堂小集」に「三江」(上平声の韻)を得たり。

浅酌微醺、小窗に倚り、怡び看る、点々として玉花(雪)の降るを。庭筠(竹)折れる処、羇鳥移り、市柝(たく:拍子木)伝ふ時、吠尨(はいぼう:むく犬[の声])雑じる。 坐して茗爐に対すれば、烟裊裊(じょうじょう:たちのぼるさま)。吟じて樺燭を挑(かか)ぐれば焔幢幢(とうとう:ゆれるさま)。相ひ招く吟社は皆な高隠(隠者)にして、 何ぞ必しも剡溪(せんけい※)、夜に艭(小舟)を盪(うごか)さん。 ※:王徽之が雪夜に戴逵を訪れた故事。
【欄外】
世張云ふ。「降」字は平仄あり。
世張云ふ。「樺燭」の字、蓋し当時の実事ならん。

知常道士南堂小集得三江

淺酌微醺倚小窗。怡看點點玉花降。庭筠折處移羇鳥。市柝傳時雜吠尨。坐對茗爐烟裊裊。吟挑樺燭焰幢幢。相招吟社皆高隠。何必剡溪夜盪艭。
【欄外】
世張云。降字平仄。
世張云。樺燭字。蓋當時實事。


(同上)「冬日田家」。「六麻」(下平声の韻)を得たり。

爐底の軟香、芋子を煨(焼)き。釜中の淡粥、蕎花を熟(煮)る。人を留むるに、別して[特に]慇懃たる処有り。酒を沽る前村は十里賖(はる)かなり。

【欄外】
翻って[范]石湖の句を得て甚だ奇なり。

豚柵、雞塒、小坡に倚る。短墻欠ける処、鄰家に接す。当に門には旧(ふる)き最も高き樹有りて、例に依りて冬来らば晩鴉棲むべし。

【欄外】
人人の意中に有る所。人人の句中に無き所。

冬日田家。得六麻

爐底軟香煨芋子。釜中淡粥熟蕎花。留人別有慇懃處。沽酒前村十里賖。
【欄外】
翻得石湖句甚奇。

豚柵雞塒倚小坡。短墻缺處接鄰家。當門舊有最高樹。依例冬來棲晩鴉。
【欄外】
人人意中所有。人人句中所無。


曉に発す。

両々の霜痕、鞋底[下駄]に生ず。攙前の黄犬、人に伴って行く。一蹊、忽ち転ず烟篁の裏に。驚き散ずる棲禽、起きて声有り。

【欄外】
世張云ふ。[楊]誠齋の一派なり。

曉發

兩兩霜痕鞋底生。攙前黄犬伴人行。一蹊忽轉烟篁裏。驚散棲禽起有聲。
【欄外】
世張云。誠齋一派。


十二月四日。村を出でて帰る。即目。

歩き到る南村の十里余。林塘、道直にして街衢に似る。馬蹄疊疊として泥痕は凍り、鴉影翻翻として日色は晡(ひぐれ)なり。村沽、寒を禦(ふせ)ぎて酒の勁きを知り、野情、 拙を養ひて詩の粗なるに任す。残冬幾くばくも無くして春将に至らんとす。誰か耦耕を與(とも)にして緑蕪を鋤かん。

【欄外】
此の如き境、切に語錬れり。豈に之を精とは謂はん哉。前聯は淮南(王?不詳)に似る。

十二月四日。出村而歸。即目。

歩到南村十里餘。林塘道直似街衢。馬蹄疊疊泥痕凍。鴉影翻翻日色晡。村沽禦寒知酒勁。野情養拙任詩粗。殘冬無幾春將至。誰與耦耕鋤緑蕪。
【欄外】
如此境切語錬。豈謂之精哉。前聯似淮南。


丙子二月四日。早起して家を発つ。日午、勝山より犬山城を経て、暮に浪越(名古屋)に達す。道上、二律を得る。

杖策、凌晨(早朝)緑潯に沿ふ。新晴、気定まりて峭寒侵す。暁光、野に垂るる、星三五。春漲、堤に平らかに、水浅深。粥皷(木魚)数声、古寺に鳴り、窯烟一縷、疎林に出づ。 紅㬢漸く上りて山、笑ふに似たり。四遠、猶ほ留む、残雪の岑。

【欄外】
前首繊秀にして、後首雄渾。二手に出るが如し。
今の才子の偏長を誇る者の比に非ず。

壑を陟り邱を経て労を覚えず。野烟、林に吹きて征袍を送る。数家の荒駅、濃山尽き、一片の孤城、蘇水(木曽川)高し。春、公田に至りて長麦の浪。時に官道は平にして、松涛静かなり。 漫遊す、当日、龍の争ふ地を。また贏驂に策して兎毫(作詩の筆)を載す。

丙子二月四日。早起發家。日午自勝山。經犬山城。暮達浪越。道上得二律。

杖策凌晨沿緑潯。新晴氣定峭寒侵。曉光垂野星三五。春漲平堤水淺深。粥皷數聲鳴古寺。窯烟一縷出疎林。紅㬢漸上山似笑。四遠猶留殘雪岑。
【欄外】
前首纖繊秀。後首雄渾。如出二手。
非今才子誇偏長者比。

陟壑經邱不覺勞。野烟林吹送征袍。數家荒驛濃山盡。一片孤城蘇水高。春至公田長麥浪。時平官道靜松濤。漫遊當日龍爭争地。又策贏驂載兎毫。


城中書事。

街城を圧する樹、影、離れ披(ひら)く。颼颯として声を作し、風動く時。識らず、誰が家の紙鳶子。絃断ち掛りて最高枝に在り。
客窗、夢醒めて昼蕭蕭。臥して見る、香烟、竹梢に上るを。病は杏桃に負ひて、仍ち(すなはち)酒を廃す。満城の風雨、花朝を過ぐ。

【欄外】
大いに是れ華人の声気なり。絶佳。絶佳。

城中書事

壓街城樹影離披。颼颯作聲風動時。不識誰家紙鳶子。斷絃掛在最高枝。
客窗夢醒晝蕭蕭。臥見香烟上竹梢。病負杏桃仍廢酒。滿城風雨過花朝。

【欄外】
大是華人聲氣。絶佳。絶佳。


津(阪)拙脩等諸人と同に平井東野翁家に留宿し、酒間、書数紙を作す。

快朋相ひ揖して醉顔、酡(真っ赤)なり。優待、連宵、富貴の家。画燭両行、明きこと昼に似たり。剡藤(せんとう:良質の紙)颯颯として龍蛇(筆致)を走らす。

與津拙脩等諸人。同留宿平井東野翁家。酒間作書數紙。

快朋相揖醉顔酡。優待連宵富貴家。畫燭兩行明似晝。剡藤颯颯走龍蛇。


東野翁に呈す絶句。  翁と家君とは同庚なり。故に云ふ。

父執、頻年(毎年)凋喪して空しく、久要(昔の約束)、指を屈す、有無の中。隠如たり、一敵強人の意。此の酒豪、東野翁を得たり。

呈東野翁絶句。翁與家君同庚。故云。

父執頻年凋喪空。久要屈指有無中。隠如一敵強人意。得此酒豪東野翁。


〇〇大桑(おおが)より谷汲に赴く道中。

乱山高下して谷、[山含]岈(かんが:山深い)。荒径時時、晩花に遇ふ。忽ち見る、林梢、一水の明きを。孤烟颺(あが)る処、是れ人家。

【欄外】
公の思ひを経ざる所。吾が深く取る所なり。
世張云ふ。第三。「柳州遊記」の妙有り。

〇〇從大桑赴谷汲道中

亂山高下谷[山含]岈。荒徑時時遇晩花。忽見林梢明一水。孤烟颺處是人家。
【欄外】
公所不經思。吾所深取。
世張云。第三。有柳州遊記之妙


○糸貫の蹟、即目。

古原縹渺として月、沙に籠め。糸貫川頭、去路賖(はる)かなり。回首すれば烟中、天色澹(あは)く。低低たる螺髻の(やうな)金華を望む。 金華(山)は岐阜の山の名なり。

【欄外】
亦た是れ合作。

○絲貫蹟即目。

古原縹渺月籠沙。絲貫川頭去路賖。囘首烟中天色澹。低低螺髻望金華。金華。岐阜山名。
【欄外】
亦是合作。


玄対閣に題す。

五月十二日。富永より迤邐(いれい:迂回)して嶺を度(渡)り、谷汲山を経、夜に入り北県(きたがた)の渡邊伯済の家に至って宿る。翌る午に其の玄対閣に登る。 「園」字を得る。閣は北面に開いて、諸峰歴歴たり。皆、昨来に過ぎし処なり。

【欄外】
世張云ふ。此の一詩、及び其の記文。彷彿として一見を経るに似たり。

芒鞋、暗を衝いて邱原を過ぐ。倦脚、顛踣(てんぼく:転げ倒れて)して君が門に到る。困臥一睡、紗幮邃く、東窗、知らず、朝暾の粲たるを。近午起きて向ふ、後閣に攀づ。 超然、忽ち世の樊(はん:樊籠=鳥籠)を出んと欲す。初め至るに困眼、瞢として識るなし。但だ見るのみ、萬堆、紫翠の繁きを。尽(ことごと)く是れ、昨過の碧、嶙峋にして、 欄に当れば歴歴として蹤跡(昨日来た道)存す。旋りて東西を弁じて山名を記し、横観側視して便ち言ふべし。主人置酒すれば席また温かし。平生の等待は情の敦きに憑る。 既に酔って詩を題し、歳月を紀す。此の閣、此の山、両つながら諼(わす)れず。

題玄對閣

五月十二日。自富永。迤邐度嶺。經谷汲山。入夜至北縣渡邊伯濟家宿焉。翌午登其玄對閣。得園字。閣開北面。諸峰歴歴。皆昨來過處。

【欄外】
世張云。此一詩及其記文。彷彿似經一見矣。

芒鞋衝暗過邱原。倦脚顚踣到君門。困臥一睡紗幮邃。東窗不知粲朝暾。近午起向後閣攀。超然忽欲出世樊。初至困眼瞢無識。但見萬堆紫翠繁。 盡是昨過碧嶙峋。當欄歴歴蹤跡存。旋辨東西記山名。横觀側視便可言。主人置酒席亦温。平生等待憑情敦。既醉題詩紀歳月。此閣此山兩弗諼。


丁丑(文化十四年)五月、藤城山房の壁に題す。

牙籤(蔵書の見出し栞)を整頓して蠹魚を払ふ。怱怱たる酔夢、一年余。南風細細、吹き来って散らす、案(つくゑ)に堆く、故人未だ[返事を]報いざるの書。

【欄外】
世張云ふ。其の吹き散す所の者。故人の恨み想ふべし。
二首。実景見るが如るがし。

乱帙、窗に横たはり、夕照斜めなり。小軒、客去りて残茶有り。吟余歩き到る、鄰荘の路。籬落の香風、棗花を落とす。

丁丑五月題藤城山房壁。

整頓牙籤拂蠹魚。怱怱醉夢一年餘。南風細細來吹散。堆案故人未報書。

【欄外】
世張云。其所吹散者。故人之恨可想。
二首。實景如見。

亂帙横窗夕照斜。小軒客去有殘茶。吟餘歩到鄰荘路。籬落香風落棗花。


○遠村晩帰の図に題す。

活活(戛戛?)として珮環(帯玉)鳴り、寒流、林麓に沿ふ。微逕、小蹇(進み難き)を促し、晩蓑、披くこと孤り速かなり。忽ち溪梅の開を得て、風泉、寒馥(清凉の気)を雑ふ。数枝は清妍に足り、 横斜して、軽縠(ちりめん)に映ず。夕霽、野気 澄む。轡を縦にし(しょうひ:馬を自由に走らせ)、棲宿を忘る。漠漠として村樹昏く、浮烟、 屋を埋めんと欲す。妻児、 我を遅(ま)つこと久しく、晩に雕胡(菰米)熟するを炊けり。

【欄外】
世張云ふ。劔南(陸游)の遺臭なり。

○題遠村晩歸圖

活活珮環鳴。寒流沿林麓。微逕促小蹇。晩蓑披獨速。忽得溪梅開。風泉雜寒馥。數枝足清妍。横斜映輕縠。夕霽野氣澄。縦轡忘棲宿。漠漠村樹昏。浮烟欲埋屋。妻兒遲我久。晩炊雕胡熟。

【欄外】
世張云。劔南遺臭。

p2


飛騨の人、一山の藤橋の図を画くを観る

建瓴(ひっくり返った水の様)の一水、急なること潺湲にして、噴出す、嶮巇(けんき)萬疊の間。翠を鑿ち丹を流して峭壁立ち、人家架りて在るは兩岸の山。 岸を隔てて呼譍(呼応)す靄溪の霧。梯航(藤橋の謂)尋常には渡るを得ず。誰か倩ひし天孫機杼の工。巧みに長橋を織りて通路と為す。素錦(白絹:谷川の謂)一幅百丈餘、 儼如として雲梯、天衢に達す。懸高ノ排(なら)べ繋ぐ両つの藤索。緯を斲木(たくぼく:削った木)を以て級級と(幾段にも)敷き、万級の両索、垂れて将に堕ちんとす。 崩湍の響裡に風、揚簸(ようは:まくりあげる)す。此の橋、有名にして世に久しく伝ふ。
新図、今また四座(万座)を驚かす。画師一山は是れ飛(飛騨)の人。且(しばら)く説く飛国の風土の淳なるを。檿絲(山蚕の糸)栝栢(柏槙)、封疆(お国)遠し。州郡は満地、翠、 嶙峋なり。方三百里、草萊(草むら)闢(ひら)き。版図、僅かに収む三万石。官吏稀少にして徭役(えだち賦役)軽し。宜(むべ)なり、沃饒ならば財また積まん。藤橋、 三月にして雪、初めて融け。都邑の人士、時に遊踪す。主僕、此に至りて足、趾跙(ししょ:行きなやみ)し。目を瞠り神(心持ち)死して色容なし。土人、拍手して笑ひて歇めず。 青笠紅衫(青衫紅笠:若者たち)の何ぞ痴絶(はなはだ馬鹿)なる。安を視て危となし危を安となす。世途に臲卼(きげき:動揺不安)多きを省りみず。君見ずや、 城中にも別に百の藤橋の有り、人海の風波、日に瓢揺(揺れ定まらぬ)するを。

觀飛驒人一山畫藤橋圖

建瓴一水急潺湲。噴出嶮巇萬疊間。鑿翠流丹峭壁立。人家架在兩岸山。隔岸呼譍靄溪霧。梯航尋常不得渡。誰倩天孫機杼工。巧織長橋爲通路。素錦一幅百丈餘。 儼如雲梯達天衢。懸鵠r繋兩藤索。緯以斷木級級敷。萬級兩索垂將堕。崩湍響裡風揚簸。此橋有名世久傳。新圖今又驚四座。畫師一山是飛人。且説飛國風土淳。 檿絲栝栢封疆遠。州郡滿地翠嶙峋。方三百里草萊闢。版圖僅収三萬石。官吏稀少徭役輕。宜矣沃饒財亦積。藤橋三月雪初融。都邑人士時遊踪。主僕至此足趾跙。 目瞠神死無色容。土人拍手笑不歇。青笠紅衫何癡絶。視安爲危危爲安。不省世途多臲卼。君不見城中別有百藤橋。人海風波日瓢揺。


籠渡圖

p3

籠渡、飛国の某川に在り。川、駛(はや)く橋を施すべからず。両岸、一長索を張り、人を籠中に駕さしめて、以て之を索に係(つな)ぎ、更に一索をその籠に係ぐ。 両岸にて伸縮し、相ひ援けて渡る。故に云ふ。
【欄外】
世張云ふ。「駕」は「盛」に作りては如何。

前糸漸く蹙めば後糸張る。縮首籠中去似颺。岸上、心無くして雲は正に逐ふ。樹辺、翼鳥の倶に行く有り。澗壑、千尋の嶮を平欺(小馬鹿にする)するも、 憑伏(狐憑鼠伏:後悔して怖気づく)す、牽連たる百丈の長きに。児女の鞦韆(ブランコ)は遊戯の事なり。何ぞ知らん、此の如き、是れ津梁(渡し)たるを。
【欄外】
世張云ふ。奇結なり。

籠渡圖

籠渡在飛國某川。川駛不可施橋。兩岸張一長索。駕人籠中。以係之於索。更係一索其籠。兩岸伸縮。相援而渡。故云。
【欄外】
世張云。駕。作盛如何。

前絲漸蹙後絲張。縮首籠中去似颺。岸上無心雲正逐。樹邊有翼鳥倶行。平欺澗壑千尋嶮。憑伏牽連百丈長。兒女鞦韆遊戯事。何知如此是津梁。
【欄外】
世張云。奇結。


○赤壁圖

一櫂(いっとう)空明を撃ち、金波影裏に行く。清風秋七月、白露夜三更。窈窕として仍(しき)りに遺響あり、渺茫として且(しばら)く生を寄す。洞簫吹いて歇まず。懐古、惨たる余情たり。
【欄外】
四十字。意を経ざる如し。而して皆「赤壁の賦」中の語を用ふ。妙なり。

○赤壁圖

一櫂撃空明。金波影裏行。清風秋七月。白露夜三更。窈窕仍遺響。渺茫且寄生。洞簫吹不歇。懐古慘餘情。
【欄外】
四十字。如不經意。而皆用賦中語。妙。


○埋雲(僧名)精盧(精舎)の杜鵑花(サツキ)

花事、怱怱として杜鵑に到る。猩紅の一塢、雨余の天。憐むべし青帝(春をつかさどる神)の春を傷む涙。遊蜂を戯蝶の辺に染め教む。
【欄外】
一気呵成。風韻流暢。
世張云ふ。「教」字は妥当や否や。

○埋雲精盧杜鵑花

花事怱怱到杜鵑。猩紅一塢雨餘天。可憐青帝傷春涙。染ヘ遊蜂戲蝶邊。
【欄外】
一氣呵成。風韻流暢。
世張云。教字妥否。


七月朔、蜂谷(蜂屋)に遊ぶ。晩に螺川(つぼがわ:津保川)の渡口に帰る。事を書す。

晨に村荘を訪ねて晩に始めて帰る。風蝉切切、柳絲絲。渓に臨んで方に判ず山雨の過ぎるを。石瀬、前渡の時より深し。

七月朔遊蜂谷。晩歸螺川渡口。書事。

晨訪村荘晩始歸。風蟬切切柳絲絲。臨溪方判過山雨。石瀬深於前渡時。


飛国の禪昌寺の十勝詩。棠林和尚の囑に為る。

寺の剏基(創基)は旧く、中(なかごろ)微(衰へ)なるも、後円融帝の勅修せられし攸(ところ)に係る。故に十勝の名もまた多く此れに取る有る也。

飛國禪昌寺十勝詩。爲棠林和筒囑。
寺之剏基舊矣。中微係 後圓融帝攸勅修。故十勝名亦多有取于此也。

圓通閣
誰か高閣に登りて忽ち円通せん。透了す人天と鳥虫と。八万四千余半の偈。一欄の山色、碧、玲瓏たり。
【欄外】
士錦、禅理に精し。恐らくは坡老の後身ならん。※蘇東坡「谿声山色」を踏まへる

圓通閣
誰登高閣忽圓通。透了人天與鳥蟲。八萬四千餘半偈。一欄山色碧玲瓏。
【欄外】
士錦精禪理。恐坡老後身。
龍翔庵
龍翔寺廃し縮めて庵と為る。物外行蔵(脱俗・出処進退)曷ぞ必しも談ずるのみならんや。勅額「永和」は天子の字。雲囲み翠護る旧名藍(名刹)。

龍翔庵
龍翔寺廢縮爲庵。物外行藏曷必談。勅額永和 天子字。雲圍翠護舊名藍。

躍鸞峰
天爽秋高、素輪(白い陽)を転がす。渓雲の断つ処、玉精神。李公の他日もし相ひ問はば、薬嶠の余風自ら人ありと。
【欄外】
棠林師また藤城居士の薬山なり。 ※古尊宿語錄「李公登藥嶠。雲在青天水在瓶。」

躍鸞峰
天爽秋高轉素輪。溪雲斷處玉精神。李公佗日如相問。藥嶠餘風自有人。
【欄外】
棠林師亦藤城居士之藥山。

裁錦川
春漲りて高囓んで湍響、呼ばふ。晩花、水に漾ひて錦紋、敷く。土人は識らず佳風景。但だ恐る、樵蹊(杣道)没して無くならんと欲すを。

裁錦川
春漲囓此リ響呼。晩花漾水錦紋敷。土人不識佳風景。但恐樵蹊沒欲無。

姥懐谷
蒼松緑竹、微陽に養はれ、満谷の冬暄は洞房に似たり。何ぞ必しも漢宮の合徳(漢代の美女)を求むるのみならんや。温柔郷(遊里)は水雲郷(仏境)に在り。
【欄外】
世張云ふ。浪華(浪花節)調なり。然れども是れ「枯木寒岩に倚る(禅語集「聯燈會要」の故事)」の遺意か。

姥懷谷
蒼松緑竹養微陽。滿谷冬暄似洞房。何必漢宮求合コ。温柔郷在水雲郷。
【欄外】
世張云。浪華調。然是枯木倚寒岩之遺意乎。

芙蓉池
[艸函][艸舀](かんたん:蓮花)花開いて暑、涼ならんと欲す。老僧長く在り坐禅の牀。鼻根何物ぞ(この匂ひは何だ)殊に霊敏たるは。微風を参じ得て暁香を識る。

芙蓉池
[艸函] [艸舀]花開暑欲涼。老僧長在坐禪牀。鼻根何物殊靈敏。參得微風識曉香。

迎舃橋
粛粛たる橋声、猿鶴驚く。麻衣(僧侶)玉舃(履:仙人)、此に相ひ迎ふ。池魚なんぞ識らん世間の事。青藻葉辺、潜みて行かず。

迎舃橋
肅肅橋聲猿鶴驚。麻衣玉舃此相迎。池魚那識世間事。青藻葉邊潛不行。

停軺臺
軺車(ようしゃ:行幸の人力車)遠きことを忘れ山中に入る。天意丁寧にして道意隆し。台畔今に至りて花草麗はしく、 猶ほ(天皇行幸)当日の錦の帲懞(へいぼう:とばり)を疑ふごとし。

停軺臺
軺車忘遠入山中。  天意丁寧道意隆。臺畔至今花草麗。猶疑當日錦帲懞。

萬歳洞
一局の仙棋、百世移り、山(寺)空にして、客去り夕陽遅し。白雲は長(とこし)へなり、是れ悠悠たる物。洞中を来往して尽くる期なし。

萬歳洞
一局仙棋百世移。山空客去夕陽遲。白雲長是悠悠物。來往洞中無盡期。

凌雲亭
毀誉(の声)啾啾として百圧聞くも、亭を起こす高踏、便ち雲を凌ぐ。窓を開ければ四達玲瓏の処。但だ天風の自在に薫るを見るのみ。

凌雲亭
毀誉啾啾百壓聞。起亭高踏便凌雲。開窗四達玲瓏處。但見天風自在薫。


訓読は西部文雄著「藤城遺稿補注」(1999年私家版)に殆ど従った。 中嶋識


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