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後藤松陰 ごとう しょういん (1797 寛政 9年1月8日 〜 1864 元治元年10月19日)

後藤松陰 手跡その18 掛軸 (2024年8月際遇 今井貞幸氏所蔵)



与 君未曾識面顔
寄書俄索竹嶼篇
想見高堂坐碧瀾
成洲成嶼碧琅玕
寒玉蕭々風戛然
國手此號無乃謙
能醫俗士復平安

寄題竹嶼醫屋
神岡國手索
松陰主人機


君と未だ曾て面顔を識らざるに
書を寄せ俄かに竹與の篇を索む
想ひ見る[貴殿が]高堂の碧瀾に坐すを
洲を成し嶼を成す碧き琅玕[竹の事]
寒玉蕭々として風、戛然たらん
國手[名医]此の号乃ち謙すること無からんや
能く俗士を医し復た平安ならん

竹嶼医屋に寄題す
神岡國手の索め
松陰主人機

※武州本庄(埼玉県本庄市)の医師、神岡得一(1797-1883)が、自宅竹嶼医屋を建てた折の記念に文人諸家に詩文書画を求めたが、これはそのうちの一篇かと思はれる。
詩文書画は『清風集』としてまとめられ、二冊刊行されたといふが初篇(天保九年刊行)にこの詩は見当たらず、二篇は本冊未確認。

参考 山田烈氏論文「『花濺涙帖』と『清風集』―江戸時代後期絵画史資料二点」. (『東北芸術工科大学紀要』13 号、2006 年)
http://archives.tuad.ac.jp/wp-content/uploads/2018/03/tuad-bulletin13-13-yamada.pdf

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