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梁川星巌 『星巌集』(せいがんしゅう) 目次

本文画像:『星巌甲集』2巻(1冊) 『星巌乙集』4巻(2冊) 『星巌丙集』10巻(3冊) 『星巌丁集』5巻+閏集1巻(2冊) 『星巌戊集』4巻 (1冊) 
      『玉池吟社詩』(2冊) 『紅蘭小集』2巻(1冊) (早稲田大学古典籍総合データベースより)


版本の成立経緯について。(考察 2020.04.26up)


 

【第1冊】

『星巌集 甲集一之二』 金


※序文の位置は刊本により異同がみられます。

1-1 林檉宇(はやしていう1792〜1846:林述齋三男、九代大学頭) 天保11年序。

星巌集序
美濃人梁緯字公圖號星巌以詩鳴世曩余聞其名未識其面毎獲一篇讀之未曽不想其人公圖好遠遊鴻爪南北無有定居頃歳賃屋於我都柳原乃以詩授徒余一日 邀覿之風貌清痩鬚鬖々然蔽頬頤長十餘寸終日談詩之外無一辤及他果知其為詩人也聞其生平煙霞風月為室宇江湖山林為苑囿鳥獣禽魚花木竹石為臣僕姫 妾其所交者非騒流韻侶則漁樵農夫而居常優游自得乎其間乃益知其眞詩人而不容疑也因謂天之賦性於人各有所近焉若公圖一身渾是詩錦其心繍其膓珠玉 其咳唾其所収拾皆為瓌章麗句照曜盈冊自非天資則不可得也讀是集者誰能不想其人接其風貌言談者誰亦不謂真詩人則公圖以詩自任一世不為過矣。
天保十一年歳除前三日培齋林皝造文於牆東水竹之居
河三亥書

星巌集序
美濃の人、梁緯、字は公圖、星巌と號し、詩を以て世に鳴る。曩(さき)に余、其の名を聞き、未だ其の面を識らず。一篇を獲る毎に之を讀み、未 だ曽て其の人を想はずんばあらず。
公圖、遠遊を好み、鴻爪南北、定居有ること無し。頃歳(このご)ろ我が都、柳原に賃屋し、乃ち詩を以て徒に授く。
余、一日、邀(むか)へて之に覿(あ)ふに、風貌清痩、鬚は鬖々然として(みだれて)頬を蔽ふ。頤(おとがひ)長きこと十餘寸、終日、詩を談 ずるの外、一辤の他に及ぶ無し。果して其の詩人たるを知る也。
聞く、其の生平、煙霞風月を室宇と為し、江湖山林を苑囿と為し、鳥獣禽魚、花木竹石を臣僕姫妾と為す。其の交る所の者、騒流韻侶に非ざれば、 則ち漁樵農夫にして居常優游、自得すと。
其の間、乃(すなは)ち益々其の眞詩人たるを知りて疑ひを容れざる也。因って謂ふ。
天の性を人に賦する、各々近き所有り。公圖の若きは、一身渾て是れ詩、其の心を錦とし、其の膓を繍とし、其の咳唾を珠玉とし、其の収拾する 所、皆な瓌章麗句と為り、照曜して冊に盈つ。天資に非ざるよりは則ち得べからざる也。
是の集を讀む者、誰か能く其の人を想はざらん。其の風貌に接して言談する者、誰か亦た真詩人と謂はざらん。則ち公圖、詩を以て自ら一世に任ず るも過てりと為さざらん。
天保十一年歳除前三日(12月28日)培齋林皝文を牆東水竹の居に造る。
河三亥(市河米庵)書


1-2 朝川善庵(1781〜1849) 天保12年序。12冊本では1-3に 移動。

星巌詩集序
余性質直。ロ剛腸硬。不能作風雅語。間有所作。輙義渉理路。詞少風致。盖性無詩也。故雖好論詩。不欲作詩。雖多為文。不欲序詩。而人亦不敢請 序。盖知余性無詩也。然所友多詩人。其最親善。兄弟交者。前則詩佛。後則星巌。詩佛長余十五歳。星巌少余八歳。前後同學奚疑塾。其間。雖聚散 或有之。然其相聚也。以文藝切磨。心赤眼青。情無適莫。但余專治經義。不屑作詩。二子者。以詩為性命。吟花必詩。嘯月必詩。詩以瀹茶。詩以煖 酒。凡天下人事物態。無見而聞而不悉以詩之。其學之也力。其好之也專。遂能到至處。以此名家。倶為一代宗匠。詩佛之性淡。故興會所属。衝口成 篇。清真飄逸。寓至味於淡泊。是其所長也。星巌濃。故詩學極博。用思最精。温潤清雅。一字不苟。蘊藉典則。工於使字。大抵。詩佛之詩。類於国 風。星巌近於二雅。其天性便爾。然則。二子今日所詣。諸體無不有。亦皆自濃淡中變化出来。各自成家。要之。一濃一淡。可以蔽之。余以性無詩。 而論二子如此。人不必肯。然其交之久且親。知二子悉矣。若有其刻詩集。則余豈得不序乎。詩佛有詩聖堂集若干巻。其後毎出遊。詩必成帙。余再序 其の西遊北遊二草。今茲辛丑春。星巌集刻成矣。星巌不得不請序於余。余亦不可序而道之。故序。辛丑閏正月。江戸朝川鼎撰。
石黒尚友書

余が性質は直、ロは剛にして腸は硬、風雅の語を作る能はず。間(まま)作る所有れば、輙(すなは)ち義は理路に渉り、詞(ことば)は風致少な し。盖し性、詩無き也。
故に好んで詩を論ずと雖も、詩を作るを欲せず。多く文を為すと雖も、詩に序するを欲せず。而して人も亦た敢て序を請はず。盖し余が性の詩無き を知れば也。
然れども友とする所、詩人多し。其の最も親善し、兄弟の交りの者、前には則ち詩佛、後には則ち星巌なり。詩佛、余より長ずること十五歳、星 巌、余より少(わか)きこと八歳、前後同じく奚疑塾(山本北山)に學ぶ。
其の間、聚散、或ひは之れ有りと雖も、然れども其の相ひ聚るや、文藝を切磨するを以て、心は赤く眼は青くして、情に適莫無し。(適も無く、莫 も無し:主觀をまじへず『論語』)
但だ余、專ら經義を治め、詩を作るを屑(いさぎよ)しとせず。二子は詩を以て性命と為し、花には必ず詩を吟じ、月には必ず詩を嘯す、詩以て茶 を瀹(煮)、詩以て酒を煖む。
凡そ天下の人事物態、見るとして聞くとして、詩を以て之を悉(つく)さざるは無し。其れ之(詩)を學ぶや力(つとむこと)、其れ之を好むや專 (もっぱら)にして、遂に能く至る處に到り、此を以て名家として、倶(とも)に一代の宗匠と為る。
詩佛の性は淡。故に興會(きょうかい)の属する所、口を衝いて篇を成し、清真飄逸、至味(しみ)を淡泊に寓す。是れ其の長ずる所なり。
星巌は濃、故に詩學極めて博く、用思最も精しく、温潤清雅、一字も苟(いやし)くせず。蘊藉典則(蘊蓄と規則)、字を使ふに工みなり。
大抵、詩佛の詩は国風に類し、星巌は二雅(小雅・大雅)に近し。其の天性、便ち爾(しか)り。然らば則ち、二子の今日詣(いた)る所、諸體有 らざる無く、亦た皆な濃・淡の中、變化出で来り、各自、家を成す。之を要するに一濃一淡、以て之を蔽ふ可し。
余、性に詩無きを以て、而して二子を此の如きに論ず。人必ずしも肯んぜざらん。然れども其の交はりの久しく且つ親しくして、二子の悉(つぶ) さを知れり。若し其の詩集を刻する有らば、則ち余、豈に序せざるを得んや。
詩佛『詩聖堂集』若干巻あり。其の後、出遊する毎に、詩、必ず帙を成す。余、再び其の西遊、北遊の二草(『西遊詩草』『北遊詩草』)に序す。 今茲辛丑(天保12年)春、『星巌集』刻成す。星巌、序を余に請はざるを得ず。余も亦た序して之を道はざる可からず、故に序す。辛丑(天保 12年)閏正月、江戸朝川鼎撰す。
石黒尚友(石黒竹香)書す。


1-3 篠崎小竹(1781〜1851) 天保8年序。12冊本では1-2に移 動。


歐陽公序梅聖兪詩云。詩人少達而多窮。非詩能窮人。窮而後詩工。東坡答王定國書云。新詩篇々皆奇。老拙不及矣。窮人之具。輒欲交割與公。如此 則詩人例必窮而工。愈工愈窮乎。余謂二公之言。盖戯之耳。人之窮達皆天也。豈由詩哉。其達者固勿論也。但窮者乃能感憤慷慨。吐悲壮之語。以消 侘傺鬱抑之悶。悶消而楽生焉。然則詩非窮人之具。忘窮而楽之具也。二公之於聖兪定國。其言皆如悲其窮。而推服揄揚。歓然莫逆。一時知己遇合之 契。使人欽羨于千載之下。其楽何如也。美濃梁君公圖今世之善詩者也。自號曰詩禪。詩禪之名。天下莫不傳稱焉。而其人清癯淡泊。携妻出郷。浪遊 殆二十年。而今寓江都。其窮當如古来詩人之例。而自楽于吟咏者。愈進不少衰矣。盖聖兪定國之流亜也。頃者其門人将刊其壮年以来所作。古今體千 餘首。而属序於余。鳴呼公圖之詩。非待余言以為軽重者也。然先是十年。公圖刻其西征詩四巻也。山陽頼子成為之序。其推服揄揚。不啻二公之於聖 兪定國。而今也則亡矣。公圖雖能不改其楽於窮。而豈無不堪知己懐舊之感。而余則子成親友也。是其所以有属也。乃代子成。言天之不能窮詩人者。 以慰籍公圖如此。若其詩。則子成序中。已詳論之。余復何贅。
天保八年丁酉王正月浪華小竹散人篠崎弼撰并書


歐陽公、梅聖兪(梅堯臣)の詩に序して云ふ。「詩人、達すること少くして窮すること多けれど、詩は能く人を窮せしむるに非ず。窮して後、詩、 工みなり。」と。
東坡、王定國(王鞏)に答ふる書に云ふ。「新詩、篇々、皆な奇なり。老拙及ばず。人を窮せしむる具は、輒ち交割(交代引き渡し)して公に與へ んと欲す。」と。
此の如くなれば、則ち詩人の例は、必ず窮し、而して工み。愈々(いよいよ)工みにして愈々窮するか。余謂ふ、二公の言、盖し之に戯るるのみ、 と。
人の窮達は、皆な天(運命)なり。豈に詩に由(よ)らんや。其の達なる者は、固より論ずる勿き也。但だ窮する者は、乃ち能く感憤・慷慨して、 悲壮の語を吐き、以て侘傺(たてい:窮乏)鬱抑の悶を消す。悶消えて楽生ず。
然らば則ち、詩は人を窮せしむるの具に非ず。窮を忘れて之を楽しむの具なり。二公の聖兪・定國に於ける、其の言、皆な其の窮を悲しむが如くに して、推服・揄揚(心服・誉めあげ)、歓然として逆らふもの莫し。一時(いっとき)の知己の遇ひ合ふの契り、人をして千載の下に欽羨せしむ。 其の楽しみ何如(いかん)ぞや。
美濃の梁君・公圖、今世の詩を善くする者なり。自ら號して詩禪と曰ふ。詩禪の名、天下傳稱せざる莫し。而して其の人、清癯淡泊。妻を携へて郷 を出で、浪遊すること殆ど二十年、而今(現在)江都に寓す。
其の窮、當に古来詩人の例の如くなるべくして、自ら吟咏を楽しむ者、愈々進んで少しも衰へず。盖し聖兪・定國の流亜なり。
頃者(このごろ)、其の門人、将に其の壮年以来作る所の古今體千餘首を刊せんとして、序を余に属す。
鳴呼、公圖の詩、余の言を待ちて以て軽重を為す者には非ざる也。然れども是に先だつ十年、公圖、其の『西征詩』四巻を刻するや、山陽頼子成、 之が序を為す。其の推服揄揚は、啻(ただ)に二公の聖兪・定國に於けるのみならず。而して今や則ち亡し。
公圖、能く其の楽を窮より改めずと雖も、而れども豈に知己懐舊の感に堪へざる者無からんや。而して余は則ち子成の親友なり。是れ其の属有る所 以(ゆえん)なり。乃ち子成に代りて、天の詩人を窮せしむる能はざる者を言って、以て公圖を慰籍すること此の如し。其の詩の若きは則ち、子成 の序中、已に詳らかに之を論ず。余、復た何ぞ贅せん。
天保八年丁酉王正月※浪華小竹散人篠崎弼撰し并びに書す。※「春、王正月」の略(『春秋』)


1-4 佐久間象山(1811〜1864) 天保11年序。12冊本では2-3 に移動。初版は自筆。讀みにくい草書のためか後版では書き直されている。字句の異同を[新・旧]で示した。

星巌集序
詩其心之聲乎。外感乎物。内動乎情。情動而形於言。言形而比於聲。聲比而詩生焉。然則詩固心之聲也。故粗於其心者。其詩厖。僻於其心者。其詩 澁。放於其心者。其詩誕。蕩於其心者。其詩靡。鄙於其心者。其詩褻。故心敬而後詩得其荘。心潔而後詩得其清。心密而後詩得其厳。心大而後詩得 其昌。心理而後詩得其文。凡誠於中者。必形之於外。惟詩不可以偽為也。是故可以經夫婦。可以成孝敬。可以美教化。可以移風俗。古之為天下者。 欲同民心而出治道也。乃設官司。博采而悉陳之。以之觀時變。察民風。考其得失之所繇。而有以斟酌之。故倫理正而上下安。國雖有不治者則罕矣。 自王政衰。詩道不明。在位者。無復知民心之所従。故淫僻行而禮義廢。國雖有治者則亦罕矣。詩之所係其不大矣哉。方今  皇朝   聖明在上。 賢能在下。政教備擧。詩學[寢]振。然世之作者。率猶昧於心術之要。而不知詩之本。徒逐々焉遺内脩外。剽掠模倣。以鬻浮靡。其識之陋亦足賤 耳。獨梁君公圖起美濃。慨然以詩法自任。其所作。大帰本乎性情。深乎比興。主文譎諫。不失風雅之遺美焉。而至其所自得。則能随物賦形。豊約疾 徐。咸中乎縄墨。而關鍵森密。厳乎不可犯。置之古作中。無復可辨識。此其所以傑然於時輩。世固有能識之者。何待予言而[後・(消す)]信乎 哉。天保中来江都。乃剏玉池[唫・吟]社。日以倡明詩學為事。遠近生徒。趨之者衆。其室氏張。亦善吟[詠・咏]。而命意窈眇。措辭渾厚。頗類 君所為。予嘗謂之曰。今為天下之倡。而自内始。詩云ふ。刑于寡妻。至兄弟。以御于家邦。其君之謂歟。君天資俊絶。於書無所不讀。最(慷・忼) 慨談時事。其才之識。不特能詩而已也。其詩弱冠以前皆焚之。今鈔而授梓者。千二百餘首。
凡若干巻。一日載酒而来。謂予曰。子知詩之本。而又知我。豈為我叙詩乎。予曰諾哉。遂叙之。
天保庚子冬月松代佐久間啓譔于江都之五柳精舎。
          [同藩金子賢望 書(初版)・澹如菊池教中 書(後版)]

星巌集序
詩は其れ心の聲か。外(そと:外界)物に感じ、内(うち:内心)情に動く。情、動いて言に形(あら)はれ、言に形はれて聲に比す(なぞらへら れる)。聲、比して詩、生ず。
然らば則ち、詩は固より心の聲なり。故に其の心に於いて粗なる者は、其の詩、厖(乱れる)。其の心に於いて僻(ひがむ)なる者は、其の詩、澁 (とどこおる)。其の心に於いて放なる者は、其の詩、誕(でたらめ)。其の心に於いて蕩(とろける)なる者は、其の詩、靡(おごる)。其の心 に於いて鄙(いやしい)なる者は、其の詩、褻(けがれる)なり。
故に心、敬にして而る後、詩、其の荘を得。心、潔にして而る後、詩、其の清を得。心、密にして而る後、詩、其の厳を得。心、大にして而る後、 詩、其の昌(さかえ)を得。心、理にして而る後、詩、其の文を得。
凡そ中に於いて誠ある者は、必ず之を外に形はす。惟れ詩、偽を以て為るべからざる也。
是の故に、以て夫婦を經すべく、以て孝敬を成すべく、以て教化を美にすべく、以て風俗を移すべし。
古への天下を為(おさ)むる者は、民心を同じうして、而して治道に出でんと欲する也。乃ち官司を設け、博く采り而して悉く之を陳べしむ。之を 以て時變を觀、民風を察し、其の得失の繇(よ)る所を考へて、而して以て之を斟酌するあり。
故に倫理正しくして、而して上下安し。國治まらざる者有りと雖も、則ち罕なり。王政衰へて自(よ)り、詩道明かならず。位に在る者、復た民心 の従ふ所を知る無し。
故に淫僻行はれて、而して禮義廢(すた)る。國治まる者有りと雖も、則ち亦た罕なり。詩の係る所、其れ大ならずや。
方今、皇朝、聖明、上に在り、賢能下に在り。政教、備(つぶ)さに擧り、詩學、寖(漸)く振ふ。
然れども世の作者、率ね猶ほ心術の要に於いて昧(くら)く、而して詩の本を知らず。徒らに逐々焉(時流を逐ふ)として内を遺(わす)れ、外を 脩(おさ)め、剽掠模倣、以て浮靡を鬻(ひさ)ぐ。其れ識の陋、亦た賤しむに足らん耳(のみ)。
獨り、梁君公圖、美濃に起り、慨然として詩法を以て自ら任ず。其の作る所、大いに性情に帰本し、比興(おもしろさ)に深し。文を主として譎諫 (諷す)、風雅の遺美を失はず。而して其の自得する所に至れば、則ち能く物に従って形を賦し、豊約(質量)・疾徐(速度)、咸(み)な縄墨に 中(あた)る。而して關鍵(要点)森密(緊密)にして、厳乎として犯すべからず。之を古作中に置くも、復た辨識すべき無し。此れ其の時輩に於 いて傑然たる所以、世、固より能く之を識る者有り。何ぞ予が言を待ちて而してのち信ぜんや。
天保中、江都に来り、乃ち玉池唫社を剏(はじ)め、日に以て詩學を倡明(闡明)するを以て事と為す。遠近の生徒、之に趨く者衆(おほ)し。
其の室(妻)氏の張(紅蘭)、亦た吟詠を善くす。而して命意は窈眇(美麗)、措辭は渾厚、頗る君の為る所に類す。予、嘗て之に謂って曰く、
今、天下の倡(倡道)を為すは、而して内より始まると。詩(『詩経』)に云ふ「寡妻に刑(のっと)り、兄弟に至り、以て家邦を御す。」と、其 れ君の謂か。
君、天資俊絶、書に於いて讀まざる所無し。最も慷慨して時事を談ず。其の才の識、特(ただ)に詩を能くする而已(のみ)ならん也。
其の詩、弱冠以前、皆な之を焚く。今、鈔して而して梓に授くる者、千二百餘首。
凡そ若干巻、一日、酒を載せ而して来り、予に謂って曰く、「子、詩の本を知る。而して又た我を知る。豈に我が為に詩に叙せんか。」と。
予曰く、「諾せん哉。」と。遂に之を叙す。
天保庚子(11年)冬月、松代佐久間啓、江都の五柳精舎に撰す。
          [同藩、金子賢望 書す(初版)・澹如 菊池教中 書す(後版)]


1-5 廣瀬旭荘(1807〜1863) 天保8年序。12冊本では2-3に移 動。


自詩東来千餘歳。懐風經國亦尚矣。中古作者推菅江。白氏長慶流也已。鎌府以還文辞泯。操觚徒属浮屠氏。江都始逮奎運開。首唱唐音者錦里。新祇 梁秋各俊才。主張壇坫執牛耳。枉将聲貌肖古人。刻■求劔迂相似。次之某某數先生。唐偽宋眞其論移。率以二十八字行。擯斥古風不肯齒。七言八句 專詠物。繊巧往往陥鄙俚。摸擬性霊均誤人。一是陳腐一淫靡。近時間出執中人。自恃排奡誇詠史。字要湊合流詼調。句多長短主奇詭。聱牙戟口少風 趣。英雄欺人人不喜。子莫無権難救時。併前二者三弊累。百年總無不[祧]詩。前弊纔除後弊起。其趍時之與背時。好名通習滔滔是。務追外觀無確 操。求諸他人不求己。邦詩雖好遜西土。爲知病根原於此。誰覧八紘開別寰。廼従星巌梁子始。乾坤雷硠巨刃揚。一闢千古詩道否。穿得天心出月脇。 化工喪秘萬象死。如其幽窅感鬼神。成連停琴觀海水。如其悲壮述襟懐。荊卿撃筑醉燕市。芊綿清麗銷人魂。春煙泄月到桃李。窈窕倚蘭翡翠瞑。放縦 搏水鯤鵬従。冲澹雅健又雄深。騒材選趣随呼使。瑞鳳一鳴諸鳥噤。旭陽已出衆星恥。自今俊傑抜茅茹公為鼻祖永崇祀。余也強項不妄推。極口嗟稱豈 徒爾。我不善詩而論詩。哆安能免誹毀。何必顔如子都姣。始許品評人醜美。唐詩勝宋宋勝元。明清争得與古比。古今人才不相及。西土詩風曰以 鄙。方今大東仰文明。較之古昔幾倍蓰。嗚呼數十百年後。我熾彼衰非無理。須載此集海外傳。不啻開我兼殿彼。
天保丁酉(8年)夏豊後廣瀬謙題上野生方寛(生方鼎齋)書。

詩、東来して自(よ)り千餘歳。懐風・經國(『懐風藻』・『經國集』)亦た尚(ひさ)し。中古の作者、菅江(菅原道真・大江以言)を推すも、 白氏(白居易)の長慶(『長慶集』)の流れ(亜流)のみ。鎌府(鎌倉時代)以て還た文辞泯(ほろ)び、操觚の徒(物書き)は浮屠氏(五山僧) に属す。
江都(江戸時代)始めて奎運の開くに逮(およ)べり。唐音(唐詩)を首唱する者は錦里(木下順庵)。新・祇・梁・秋の各俊才(新井白石・祇園 南海・梁田蛻巌・秋山玉山)。壇坫(詩壇)に主張して牛耳を執る。枉げるに聲貌を将(も)って古人に肖せる。■を刻りて劔を求むるも、迂に相 ひ似たり。
之に次ぐ某々の數先生。唐は偽、宋は眞として其の論、移る。率ね二十八字(七言絶句)を行ふを以て、古風を擯斥して肯へて齒(年順に)せず。 七言八句(七言律詩)も專ら詠物(詠物詩)。繊巧なるも往々鄙俚に陥る。性霊(清の性霊派)に摸擬して均しく人を誤らす。一は是れ陳腐、一は 淫靡。
近時、間(まま)中を執る人(頼山陽)出づ。自ら恃んで排奡(豪宕)、詠史を誇る。字は(前二者の)湊合を要するも詼調(お道化)に流る。句 は多く、長短あり、奇詭(意表)を主とす。聱牙(偏屈)にして口を戟(さ)して風趣少なし。英雄、人を欺いて人、喜ばず。子莫の権(中庸の 謂。『孟子』)なくて時を救ひ難し。前の二者と併べて三弊、累(かさ)なる。
百年、總じて詩の祧(うつ遷)らざるはなし。前弊纔かに(ようやく)除かるるに後弊起る。其の趍(およ)ぶ時、之れ與(とも)に時に背く。名 の通習とならんことを好み、是を滔々とす。外觀を追ふを務め、確たる操(みさお)なし。諸(これ)を他人に求めて、求め己(やま)ず。
邦詩、好く西土(中国)に遜(ゆづ)ると雖も、爲に病根は原(も)と此に於けるを知る。誰か八紘(全世界)を覧て別寰(新機軸)を開かんや。 廼(すなは)ち星巌梁子従(よ)り始む。
乾坤、雷硠(らいろう:山崩れる音)として巨刃揚がる。一たび千古の詩道を闢(ひら)きて、否(ふさ)がる。天心穿ち得るも月を出して脇(闔 とじ)る。化工は喪秘して萬象死す(推敲の跡を留めない謂)。
其の幽窅(杳)は鬼神を感ぜしめ、成連、琴を停めて海水を觀る如し(伯牙の故事)。其の悲壮は襟懐を述べ、荊卿(荊軻)、筑を撃ちて燕市に醉 ふ如し(易水送別の故事)。
芊綿(せんめん:茂るさま)たる清麗、人魂を銷す。春煙は月より泄(も)れて桃李に到る。
窈窕たり蘭に倚りて翡翠瞑(くら)し。放縦たり水を搏ちて鯤鵬従ふ。冲澹(潔白)雅健、又た雄深たり。騒材(詩題)、趣きを選びて、随(まに ま随意)に使ひを呼ぶ。
瑞鳳、一鳴きすれば諸鳥噤(つぐ)み、旭陽、已に出れば衆星恥づ。今より俊傑、「茅を抜くに茹たる(陸続たる)」は、公を鼻祖と為し、永く崇 祀せん。
余また強項(剛直)にして、妄りに推さず。我、詩を善くせず而して詩を論ず。哆(奢侈)、安(いず)んぞ能く誹毀を免れんや。何ぞ必ずしも 顔如子都姣。始て許す、人の醜美を品評し。唐詩は宋に勝ち、宋は元に勝つ。明清、争(いかで)か古と與(とも)に比するを得ん。古今の人才、 相ひ及ばず。西土の詩風曰ふに鄙を以てす。方今の大東、文明を仰ぐ。之を古昔に較べれば幾倍蓰(何十倍)ならん。嗚呼、數十百年後、我は熾 (さか)んに彼は衰ふ理なきには非る。須らく此集を海外に載せて傳ふべし。啻に我を開きて兼るに彼を殿(しんがり)とするのみならず。
天保丁酉(8年)夏豊後廣瀬謙題上野生方寛(生方鼎齋)書。

星巌先生五十歳小像 及び自述詩

総目(目次)

例言 箕浦谷


星巌甲集目録


『星巌甲集』巻1 蠡海集 (れいかいしゅう)文化7年9月〜文化14年8月  原藁 古今體共283首。刪存66首

※解読の便に適宜、(人名)・「」を付し、表題下の小楷部分を()で囲んだ。

天龍河上口號 (庚午 以下五首係再赴江戸途中作、時年二十二。)
旅夕不寐
雨中日阪小憩
重踰函嶺
九月廿日經高輪入江戸
書旅懷寄仲建弟(以下參十五首係江戸客中作)
絶句 八首 (録四)
春曉 (辛未)
雨中
二月十七日東郊散策

春晩寄仲建弟
山亭夏日 (雪齋増山矦課題)
新莽「長℃q孫」鑑歌 (爲福田竹庵作)
題酒家壁 (壬申)
樓上雨霽
題呉竹沙畫水仙圖
食蟹 二首 (録一)
偶成絶句 十首 (録五)
讀因是庵唐詩解書後
題呉竹沙畫山居幽趣圖 二首
谷文一畫美人 (甲戌)
叫天兒 (詩聖堂課題)
城東錢氏園觀牡丹戲詠
贈柏山人如亭
月下感舊而作
重有感
題南湖老人(春木南湖)寒江暮景圖
夢巻致遠(巻菱湖)
旅感
有酒 (乙亥)
別宮澤上矦(宮澤雲山)
七月十三日途中口號 二首 (以下十五首係毛野及信濃客中作)
客中秋思
舟夜夢歸
高埼曉發口占
馬上雜吟 八首 (録六)
望淺間山燄氣
河中島、是甲越爭戰處
寓別所倉澤氏、地有温泉、差可以湯寒
觀棊(丙子)
八劔山下作 (以下十首係西歸途中作)
客中春盡 (時在駿州)
題呉月溪畫 二首
謝晨園老人餉梅子
大風紀事 (時在遠州)
讀杜韓集 (丁丑)
戲贈
過參州口號

回郷絶句 五首 (録二)
回郷絶句 五首 (録二)

嚢空裘亦敝  嚢空しうして裘また敝(やぶ)る
何面見諸親  何の面(おもて)か諸親に見(まみ)えん
誰言惡歸者  誰か言ふ「悪帰の者、
尚勝美遊人  尚ほ美遊の人(都で昇進して帰らぬ者)に勝る」と。

『星巌甲集』巻2 梨花村草舎集 (りかそんさうしゃしゅう)文化14年9月〜文 政5年8月 原藁 古今體共197首。刪存59首

雜詩 十五首 (録八 以下十首係回郷後作)
題范蠡泛湖圖 (戊寅)
村居雜詠 二首
夏日閑詠 二首 (録一)
題勾臺嶺(勾田臺嶺)山水小景圖 五首

藍川舟中 二首

秋風吹皺一川波  秋風吹き皺む、一川波。
潑潑香魚飛玉梭  潑潑たる香魚、玉梭を飛ばす。
六尺幽崖露如雨  六尺の幽崖、露、雨の如し。
蓼花紅滴釣人蓑  蓼花、紅は滴る釣人の蓑。

緑長行舟儘自由  緑長じて行舟、まま自由。
金華山影漾中流  金華山影、中流に漾ふ。
咬咬不盡沙禽語  咬咬として尽きず沙禽の語。
聽到西溪十八楼  聴きて到る、西渓の十八楼。

寄懷如亭柏山人
七星潭客舎題壁 (以下廿二首勢州及京師客中作)
題檀三坡畫江山秋霽圖
初逢韓聯玉(山口凹港)
陳希夷長睡圖 二首
春柳 十首 (録二 (己卯)
湖上矚目
木曾義仲墓

如亭山人訃至勢南、余恐其遺稿散亡、遽入京遍索之故舊、云紀十千持去、乃又抵浪華、就而請之、得古今體二百餘首及詩本草一巻、遂與桑公圭、 高卓公二子相謀以上刻
如亭山人の訃、勢南に至る。余、其の遺稿の散亡するを恐れ、遽かに京に入り遍ねく之を故旧を索む。紀十千(浦上春琴)持ち去ると云へば、 乃ちまた浪華に抵(いた)り、就て之を請ひ、古今体二百余首及び詩本草一巻を得。遂に桑公圭(桑原苾堂)と高卓公(高須鬳堂)二子と相ひ謀 り、以て上刻す。

遣譜飄零何處尋  遣譜は飄零として何処にか尋ねん。
高山流水舊知音  高山流水、旧知音
京華探遍浪華去  京華遍ねく探して浪華に去る。
不負平生一片心  負かざるは、平生の一片の心。

朱竹扇頭
夜飲ョ子成(頼山陽)鴨川寓樓遂留宿
東坡赤壁圖
讀原潛玉(原迪齋)悼亡詩題後
孤鴛
對石鏡夕感
客枕
春晩絶句 三首 (録一)
重入京贈林子制

過如亭山人埋骨處潸然成長句
如亭山人埋骨の処を過ぎる。潸然として長句成る。

平安城外春如海  平安城外、春、海の如し。
只愛鶯花不要官  只鶯花を愛して官を要せず。
空負輪囷詩胆大  空しく負ふ、輪囷(屈曲)詩胆の大
可堪流落客衣單  堪へるべけんや流落客衣の単(ひとへ)に。
煙籠宿草幽魂遠  煙は宿草を籠めて幽魂遠し。
雨滴荒山白骨寒  雨は荒山に滴りて白骨寒し。
囘想涼風埋殯夕  回想す、涼風埋殯の夕。
枯藤條束木皮棺  枯藤、条もって束ぬ、木皮の棺。

醉李圖
魏宮詞
止剃 (以下十七首係回郷後作)
行圃
余年甫三十二、新娶乃作二絶句、以自調 (録一)
新正口號 (辛巳)
靈龜帝行宮古趾
山下有泉清冷可愛
詠史十首 (録三)
早起

讀樊川集有感
新春偶成 (壬午)
有感
秋夕與觀上人會話、時上人將歸山端居遣興
枕上聞雁


 

【第2冊】

『星巌集 乙集一之二』 石

『星巌乙集』巻1 西征集 一 (せいせいしゅう1)文 政5年9月〜文政7年4月 原藁 古今體共108首。刪存73首。

初版『星巌乙集 西征集』に収めるものを※で示す (※)は初版のみに収録。

2-1 日野資愛(ひのすけなる1807〜1863) 文政11年序。

※文政12年刊行『西征詩(乙集)』に付したもの※1 ※2 ※3 ※4 を、文言はそのままで版型に合せて大きく書き改めている。後版も同じであ り、ここには『西征詩』との字句異同を[新・旧]で示した。


余十餘年前、見坊間開宋三家律詩選本、初知美濃詩人有梁星[巗・巌]者、而未見其詩、固未及知其人、竊謂亦時流詩人耳、尋見其所梓行徐而庵詩話跋 語、又有人傳其詠[筍・笋]一律、稍似[與・与]時流有異者、而片語隻辭、未足以概其実践、意頗疑焉。頃聞星巌来寓于輦下、問其経歴、云遊長 [崎・碕]、與清客唱和、南海山陽、所在[與・与]騒人交遊、問其所業、云校讎坊刻之書、或評選近時作家之詩、因又竊謂果然時流詩人耳、然未能シ 然於懐也、今滋春首始来見、觀其人、則臞然骨格、若不勝衣。其所談論、則磨盡圭角、不[與・与]物競、然非復甘牛後啜糟粕者。一片逸標、隠然乎應 接之間、近又讀其西征詩冊。其所趨向、非蘇黄非范陸、非楊虞非王李、亦非徐袁之[與・与]鍾譚、一種清[雋・儁]之味、盖獲之天分、而專用心於 唐、故無有膚淺露骨、支離滅裂之病也、今見其構思作詩、毎逢一題、輙[・覃]精殫慮、必全 功力於通篇、不徒字錬句琢而已、故冊中詩、皆渾成圓熟、譬如滿盤明珠、着一魚目不得也、而今始知星[巌]介然特立、非時流詩人所能及也。[固・ 繇]是推之、自今而往、其鍛錬淬勵、日月以加、遂得隴西杜陵之神髄、必可有之理、而必不可無之事哉。於是乎書之巻首、以問世之讀此冊者云、
文政十一年歳在戊子冬十一月中浣正二位前大納言藤原資愛撰
菱湖巻大任拝[書・寫]


余、十餘年前、坊間(巷に)開く所の『宋三家律詩選』本を見、初めて美濃の詩人に梁星巌なる者有るを知る。而して未だ其の詩を見ず。固より其の人 を知るに及ばず。竊かに謂ふ、「亦た時流の詩人のみ。」と。尋(つい)で其の梓行する所の『徐而庵詩話』跋語を見、又た人の其の詠筍一律を傳ふる 有り。稍や時流と異なる者有るに似たり。而れども片語隻辭、未だ以て其の実践を概するに足らず。意、頗る疑ふ。頃(このご)ろ星巌、来つて輦下 (京都)に寓すると聞く。其の経歴を問へば、云ふ。
「長崎に遊び、清客と唱和し、南海山陽、所在騒人と交遊す。」と。其の業とする所を問へば、云ふ、
「坊刻の書を校讎し、或ひは近時作家の詩を評選す。」と。因て又た竊かに謂ふ
「果然、時流の詩人のみ。」と。然れども未だ懐にシ然たる能はざる也。
今滋春首、始めて来り見ゆ。其の人を觀れば、則ち臞然たる骨格、衣に勝へざるが若し。其の談論する所は則ち、圭角を磨し盡して、物と競はず。然れ ども復た牛後に甘んじ、糟粕を啜る者に非ず。一片の逸標、應接の間に隠然たり。
近ろ又た其の『西征詩』冊を讀む。其の趨向する所、蘇(蘇軾)黄(黄山谷)に非ず。范(范成大)(陸游)に非ず。楊(楊載)虞(虞集)に非ず。王 (王世貞)李(李攀竜)に非ず。亦た徐(徐達吉)袁(袁枚)の鍾(鍾惺)譚(譚元春)と與(とも)に非ず。一種、清雋の味、盖し之を天分に獲て、 而して專ら心を唐に用ふ。
故に膚淺露骨、支離滅裂の病ひ有ること無き也。今、其の思ひを構へ詩を作るを見るに、一題に逢ふ毎に、輙ち精を覃(ふか)くし、慮を殫(つ)く し、必ず功力を通篇に全くし、徒(ただ)に字錬句琢するのみならず。故に冊中の詩、皆な渾成圓熟、譬へば滿盤の明珠(一流品)、一の魚目(三流 品)を着け得ざるが如き也。而して今始めて星巌の介然特立して、時流詩人の能く及ぶ所に非ざるを知る也。[固より是れ・是に繇(よ)りて]之を推 せば、今より而往、其の鍛錬淬勵、日に月に以て加はり、遂に隴西(李白)、杜陵(杜甫)の神髄を得ること、必ず有るべきの理にして、必ず無から可 かるざる事ならんや。是に於てか之を巻首に書して、以て世の此の冊を讀む者に問ふと云ふ。
文政十一年、歳戊子に在り、冬十一月中浣(中旬)、正二位前大納言 藤原資愛、撰す
菱湖巻大任(巻菱湖)拝寫す


2-2 頼山陽(1780〜1832)

※文政12年刊行『西征詩(乙集)』に付した萩原秋巌の書※5 ※6 ※7 ※8 を、文言はそのままで版型に合せて山陽の自書に改めている。後版も同じで あり、ここには『西征詩』との字句異同を[新・旧]で示した。


鎮西之山遠而望之。数點如在天外。而往而就焉。則隔絶之者。赤馬關一衣帯水而已。鳴呼是即可以喩[伯兎・公圖]詩矣。[伯兎・公圖]詩神遠韻高。 逈別凡境。而言人々所意。非必遠於人。所争在尺寸間。人自不能學耳。然非用功專得力深。不能造焉而久之也。吾觀海内以詩名家者多矣。或儇佻自喜。 面目鄙近。否則粗嶮硬率。不足入人心脾。能除此二病者。獨[伯兎・公圖]。[伯兎・公圖]清羸嗜詩如命。其婦亦解吟。夫妻相携。嚢書橐筆。徧遊西 南山水。適意輙留滞。獲古人一集。可意者枕籍讀之。婦報餐添衣不顧及其自為則諳古之歩趨。而會以己之神理。吚嚘終夕。不輙下筆。雖險題難韻。出以 平穏。愈錬愈平。期於雋永非淺噪噉名者所能辨。所以能異時調也。[伯兎・公圖]少與關左名彦周旋。又歴抵西州諸耆宿。終至[与・與]清客相唱和。 其服閲心試者幾人。顧以余為可相質證者也。近収拾西遊所作。請評而序之。余篝燈夜讀。毎逢[會・会]心。戛筆稱妙。妻児睡者皆起。盖余所欲言而未 言者。[伯兎・公圖]盡之矣。余亦曽西遊豊筑。渉二肥薩隅。觀諸奇秀境。比[伯兎・公圖]較闊且多。然念親思家。多所牽掣。不能悉領其勝。視之 [伯兎・公圖]挈家而行。徜徉留止者有間矣。猶余之攻詩。不如[伯兎・公圖]之專且深久也。特愈夫足未踰赤馬者耳。所以[伯兎・公圖]請而余不拒 焉。
 山陽外史頼襄題
  古梁漁人原翬書

鎮西の山、遠よりくして之を望めば数点、天外に在るが如し。而るに往きて焉(これ)に就けば、則ち隔絶の者、赤馬關(下關)の一衣帯水のみ。鳴 呼、是れ即ち以て[伯兎・公圖]の詩に喩ふべし。
[伯兎・公圖]の詩、神遠く韻高く、逈(はる)かに凡境と別(わか)つ。而して人々の意(おも)ふ所を言ひて、必ずしも人と遠きには非ず。争ふ所 は尺寸の間に在り、人、自ら能く學ばざるのみ。然れども功を用ふること專らに、力を得ること深きに非ざれば、焉(ここ)に造(いた)り、而して之 を久しうすること能はざる也。
吾れ、海内に「詩」を以て家に名づくる者を觀ること多し。或(あるもの)は儇佻(けんちょう:すばやい)自ら喜び、面目鄙近、否ならば則ち粗嶮に して硬率、人の心脾に入るに足らず。能く此の二病を除く者、獨り[伯兎・公圖]のみ。
[伯兎・公圖]は清羸、詩を嗜むこと命の如し。其の婦も亦た吟を解し、夫妻相携へて書を嚢(ふくろ)にし、筆を橐(ふくろ)にし、徧ねく西南の山 水に遊ぶ。意に適すれば輙ち留滞し、古人の一集、意に可なる者を獲れば枕籍して之を讀む。婦の餐を報じ衣を添ふるも顧みず。
其の自ら為(つく)るに及べば、則ち古の歩趨を諳んじ、而して會するに己の神理を以てし、吚嚘(いゆう:苦吟して)終夕、輙(たやす)く筆を下さ ず。險題難韻と雖も、出すに平穏を以てし、愈々錬って愈々平、雋永(せんえい:滋味)を期す。淺噪、名を噉ふ(くらふ)者の能く辨ずる所に非ず。 能く時調に異なる所以なり。
[伯兎・公圖]少く(わかく)して關左(江戸)の名彦と周旋し、又、西州の諸耆宿に歴抵し、終に清客と相唱和するに至る。其れ心、試に服閲する者 幾人ぞや。顧るに余を以て相ひ質證すべき者と為す也。
近ごろ西遊作る所を収拾し、評して之に序せんことを請ふ。余、篝燈夜讀、会心に逢ふ毎に、筆を戛して(たたいて)「妙」と稱す。妻児、睡る者皆起 く、盖し余の言はんと欲する所にして未だ言はざりし者、[伯兎・公圖]之を盡くせり。余、亦曽て豊筑に西遊し、二肥薩隅を渉り、諸を(これを)奇 秀の境に觀る。[伯兎・公圖]に比すれば較(やや)闊くして且多し。然れども親を念ひ家を思ひ、牽掣せらる所多く、悉くは其の勝を領すること能は ず。之を[伯兎・公圖]の家を挈げて(ひっさげて)行き、徜徉(しょうよう:さまよふ)留止する者に視れば、間有り矣。猶ほ余の詩を攻むる、[伯 兎・公圖]の專らにして且つ深く久しきには如かざる也。特に夫(か)の足、未だ赤馬を踰えざる者には愈(まさ)れる耳。[伯兎・公圖]請ひて余も 拒まざる所以なり。(原漢文)
山陽外史頼襄題す。
  古梁漁人原翬(萩原秋巌)書

星巌乙集目録

九日藍川路上 (壬午) ※9
江月亭 ※10
寄柏純甫(柏淵蛙亭) ※11
冬晩馬上 ※12
盔山(かぶとやま)途中 ※13
立春日枕上聽氷、時在伊州 ※14
正月二十日讀東坡詩偶有所感題一絶 ※15
二月五日携家觀梅於月瀬邨 (村属和州一水貫山而下、凡二十餘里山巓水涯巌曲洞口目之所向、無看不梅歌、莫測莫測其幾億萬株、實天下奇觀、惜 地僻罕賞者)  三首 ※16 ※17
憑高寄懷濃中知舊 ※18
(米園之會戯作枯木圖係以一絶※19)
三日挈酒遊杜氏水繪園醉中題二絶句示服文稼(服部竹塢) ※20
和州道中
平城懷古 ※21
三笠山下有懷安部仲麻呂
旅夕示内時春盡 ※22
駱駝歎 (有引) ※23 ※24
播洋舟中
久旱 (時在備中) ※25
路上紀事 ※26 ※27
次韻答茶山翁見贈 ※28
哭寄葛先輩休文(葛西因是) 二首 ※29 ※30
玉浦舟小所見 ※31
御塔門 (舊傳云平清盛所鑿) 
舟抵廣 ※32
感秋次山口恕輔(山口西園)韵 ※33
秋夕 ※34
黄岡之會、始謁杏坪翁(頼杏坪) 翁有詩、語及賤子、囘次韻以呈、時癸未中秋也 ※35
十六夜賞月於三篠水樓、是夜陰リ不定 ※36
十七夜客窓對月 ※37
重陽日宮氏夜聽亭重陪飲杏坪翁、仍用中秋之韻 ※38 ※39
廣島城南凡三十餘里皆爲鹹地、遍插刻竹望之若水柵然、即牡蠣田也、土人云、「率以五六月下種則翌年八九月苗生較之他州所産更肥美」、輙賦一絶 句 ※40
余性甚嗜牡蠣又甚嗜蟶(まて貝)、偶閲南産志、云「閩人M海種蠣又種蟶」、因竊意本州已有蠣田、則饕餮若余亦得厭飫、唯恨其無蟶田耳、嗟呼誰 居爲燧人氏者 必當有人焉 ※41
車蛤一名「西施舌」、蠣房一名「太眞乳」、並美見諡、一日庖人偶羞此二品、輙走筆各書一短歌 ※42 ※43
杏坪翁遊矚西郊、歸路見過余寓、遂相要至晩甘亭、主人供酒茶、翁有詩次韻 ※44
嚴島 ※45 ※46
十月晦日、杏坪翁見過余寓居、得鹽字 ※47
席上詠水僊花、兼贈ョ餘一 (餘一坪翁姪孫善書) ※48
將赴三原、諸子飲錢於景山樓 ※49
泊夜書所見 ※50
如此江山亭對雨、示都寧父丹子諄二子 (亭在妙正寺側、下瞰三原城粉堞碧瓦与青松白沙相映帯於鹵烟杳渺間、眞勝境也、葢妙正寺以緒家多題詠故 擅名區内、而 是亭寥寥無聞可惜矣) ※51
田氏女玉葆(平田玉蘊の妹)畫常盤抱孤圖 ※52
贈鹿 ※53
雪夜寄懷宏上人 ※54
除夕戲題
早春雜興 十首 (録七) ※55
西郊尋梅 ※56
梅花絶句 (余嚮以月瀬梅花爲海内無雙、及今觀三原梅、乃知其有雙也、彼以幽邃勝、此則平曠竹橋茅屋、境各有佳處耳) ※57
八幡山八景 (録三首) 鷹羽山リ嵐/鈴子谷春鶯/御調坂夜雨 ※58
田氏女玉薀(平田玉薀)畫美人讀書圖 ※59 ※60
二月晦日拉都寧父(都築蘇門)諸子遊絲崎、海上有大小鷺洲 ※61
余寓三原以梅花方綻時來、以吉鬣始肥時去、其間十餘旬、與都寧父丹子諄輩詩酒談笑、殆無虚日、臨別留題 ※62
重抵廣島 ※63
後藤氏園池賞藤花同杏坪翁 ※64 ※65
木龍引爲山美算題 ※66
(與杏坪翁父子同過邨氏別墅呼韻 ※67)
論詩示王香(加藤王香) ※68
余絲崎絶句、一時人謬傳誦、王香贈詩云「小杜甞稱趙倚樓、崔鴛鄭鷓例尤稠、這般好句人爭誦、盍目公爲梁鷺洲」援筆戲答 ※69
漁子歌二闋、遊城南而作 ※70

『星巌乙集』巻2 西征集 二 (せいせいしゅう2)文 政7年5月〜文政7年8月 原藁 古今體共92首。刪存59首。

舟發廣島 ※71 ※72
五日泊室津 ※73
舟中望鎭西諸山 ※75
經普賢洋風浪暴起、有鰐魚一雙、掠舟而過 ※76
壇浦懷古 ※77
雙珠閣書矚目、閣在長府城南 ※78
越子信(越智子信)觴余於大鼓樓、酔中成二十韻以贈 ※79 ※80
筑州路上 ※81
赤間驛雨中訪月形君璞(月形鷦巣)置酒延歓、且用藝藩諸子送別之韻見贈疊礎以謝 ※82 ※83
阻雨 ※84
函崎廟 ※85
松永子登(松永花遁)宅觀阿速冑歌 (阿速蒙古別号也) ※86 ※87
子登要余舟遊 ※88
[同弋]舟訪空石(亀井空石)、翁座間遇見ョ子成贈翁之什依韻賦呈 ※89
雨霽 ※90
大宰府謁菅公祠廟 ※91
松水廬 (松水坊在佐賀城南泮宮之側、往年古賀精里先生所創設、松檜蔚然茂流水映帯、所以以坊之得名也、先生東去後田維岳(原田鶴樓)移居 焉、遂増植花木以継遺芳云)  ※92
從佐賀抵諌早舟中 ※93
長崎 ※94
讀江芸閣品花新詠戲題 八首 ※95
七夕柳篔池館戲詠示水媚川(水野媚川) ※96 ※97
芸閣贈筆墨數篋、係以一絶、有「隃靡不律藉行笥」之句、賦謝 ※98
贈女校書袖笑 ※99
芸閣寄示無題一篇云、此詩自冩青年小像、不堪爲知己笑也、望勿傳示他人、更爲笑外増笑耳、戲次韵 ※100
月下傚元微之雜憶裁五章寄芸閣及校書 ※101
讀釆蘋女史(原釆蘋)閨詠却寄、釆蘋向在碕、開講肆延生員、故詩尾及之 ※102
聽沈綺泉話揚州 ※103 ※104
月夜諸游好拉歌兒、見過余竹林寓居、時上杉龜亭將赴薩州 ※105
送龜亭之薩州 ※106 ※107
登無凡山閣望海 ※108
竹林東廂夜坐 二首 ※109
水月園夜、坐有懷故山 ※110
從驛司陳祚永乞肉 ※111
翌日祚永送饌羞滿案皆珍異、葢清客庖所之物云、戲題十絶句 ※112 ※113 ※114


2-3 江芸閣(生没年不詳:名は大楣、字は辛夷、姑蘇の人。)  道光4年[文政7年1824] ※115

※『西征詩(乙集)』上冊巻末に付せられたもの。後版も同じであり、ここには『西征詩』との字句異同を[新・旧]で示した。

大楣多讀 貴邦詩。才情之美。無過 梁君星巌。其西征詩凡一百卅餘篇。俊逸而丯麗。如晴空飛隼乗飇盤旋。如碧水芙 蕖不假粉澤。而婷婷可愛。深得詩人之旨。當以為一代風騒主。其在我乎。亦宜推之無慊。豈惟 貴邦。
道光甲申閏月   姑蘇江大楣敬識。

大楣多く貴邦の詩を讀む。才情の美、梁君星巌に過ぐる無し。其の西征詩凡そ一百卅餘篇、俊逸にして丯麗、晴空の飛隼飇に乗じて盤旋するが如 く、碧水の芙蕖、粉澤を假らずして婷婷愛すべきが如し。深く詩人の旨を得たり。當に以て一代風騒の主と為すべし。其の我に在るも、亦た宜しく 之を推すに慊無かるべし。豈惟だ貴邦のみならんや。
道光甲申閏月   姑蘇江大楣 敬しみて識す。


(朱柳橋)(生没年不詳:名は翊平、字は属君、浙江當江の人。) 道光4年[文政 7年]

※『西征詩(乙集)』上冊巻末に付せられるも、『星巌集』にて削除された。参考に載せる。)

古今来以詩自名其家者衆矣。而究以李杜二公為之首稱。盖青蓮天才超特。少陵宏通淹貫。加之跋渉千里並得江山助者多。故篇什能冠絶乎古今也。茲 梁 君公圖、生於日出處。天資霊敏亦能被襆遠遊。航風梯雲。宜其吐属清雋而調之近古人。以西征詩冊示余。余久抛筆硯。何能窺見高深。第承 不棄葑菲。 爰於客邸展誦數過。遂綴俚諺於尾於乎。 梁君才高學深。况春秋富。即必詩境与年倶進所得。豈止於是乎。
道光四年秋八月浙江朱翊平属君氏謹跋。

古今来、詩を以て自ら其の家に名づける者衆(おほ)し。而して究(つひ)に李[白]杜[甫]二公を以て之が首稱[一番]と為す。けだし青蓮[李 白]は天才超特、少陵[杜甫]は宏通淹貫、しかのみならず跋渉千里、並びに江山の助けを得る者多し。故に篇什よく古今に冠絶するなり。
茲に梁君公圖、日の出る處に生まれ天資霊敏またよく被襆[行李を包み]遠遊、風に航し雲に梯す。むべなりその吐属[措辞]清雋[俊]にして調べの 古人に近きや、西征詩冊を以て余に示す。余、久しく筆硯を抛り何ぞよく高深を窺見せん。第(た)だ葑菲の棄てられざること[※]を承(たす)け て、ここに客邸において展き誦してしばしば過ごす。遂に俚諺[拙言]を[巻]尾に綴らんか。
梁君、才高く學深し、况や春秋富む。即ち必ず詩境、年と倶に進み得る所あに是に止まらんや。
道光四年[文政7年1824]秋八月、浙江の朱翊平、君氏に謹跋を属(しょく)す(綴る)。

※「葑菲」は、詩経國風に「葑を采り菲を采る。下體を以てすること無かれ」とあり、かぶらの味が時期により不味いからといって、付いてゐる菜葉ま で棄てるな。自分の不才ゆゑに星巌の詩まで疑ってくれるな。の謂。

 

【第3冊】

『星巌集 乙集三之四』 絲

『星巌乙集』巻3 西征集 三 (せいせいしゅう3)文 政7年8月〜文政7年12月 原藁 古今體共107首。刪存81 首。

十五夜泛舟於瓊浦賞月 ※115-2
月下呈寄銕翁禪師 ※116 ※117
清音閣送熊子璋東遊、以在山泉水清爲韻、得水字 ※118 ※119
大光寺後閣同劉竹所對雨、以深秋簾幕千家雨爲韻、得簾字 ※120
鄭成功詩 (有引) ※121 ※122
毘舎那詞 (有引) ※123 ※124
月琴篇 (有引) ※125 ※126
瓊浦雜詠 (有引) ※127 ※128 ※129  ※130 ※131
發長崎 ※132
諫早留別平井大觀 ※133
旅懷 ※134
舟暁聞笛 ※135
竹崎阻風、晩登觀音閣、望雲仙天草諸山 ※136
舟次諸富 ※137
筑水有感菊地氏之事成四十字 ※138
望高良山 ※139 ※140
久留馬路上書懷 ※141
耶馬溪絶句 九首 (有引) ※142 ※143
十月二十三夜從鵜嶋抵下關舟中 ※144
下關雜詩 六首 ※145 ※146
阿弥陀寺 ※147
十一月五日菅老梅要余及江大聲(廣江秋水)諸子、泛舟於龜浦、得香字 ※148
竹崎戲書所見示同遊 ※149 ※150
題越子信豐中山水圖巻後 ※151
題寓居壁 ※152
寓居遣懷 二首 ※153
十二月十五夜、海天雪霽、月色皎然、子信命舟、邀余同賞焉、酔後走筆賦此 ※154 ※155
歳晩口號 ※156
除夕祭詩罷而作 ※157
(貧甚更題一絶自戲※)

『星巌乙集』巻4 西征集 四 (せいせいしゅう4)文 政8年1月〜文政8年3月  原藁 古今體共133首。刪存 100首。

正月十三日發下關赴藝州舟中作 ※158
普賢洋遇大風 ※159 ※160
舟艤廣島先寄諸故人 ※161
王香(加藤王香)聞余夜就館送梅花一枝喜而賦、時元夕 ※162
同杏坪翁過國泰寺[食卞]後戲作 ※163 ※164
柳枝詞三首次王香韻 ※165
偶成二首 ※166
春遊甚盛偶得長句 ※167
王香龜年諸子、要余泛舟於三篠川、得四絶句 ※168
題梅隖(澤梅隖)老人墨竹 ※169
國泰寺觀牡丹同畫師天香 ※170
春晩二絶 ※171
春盡寄越令子信(越智子信)及江大聲(廣江秋水) ※172
題梅澹卿(梅煙村)畫 ※173
呉小仙捕魚圖爲澤左仲(平澤随龍)題 ※174
水漲 ※175
發廣島王香諸子送至衣波洲、是夜泊御塔門 ※176 ※177
重抵三原 ※178
中元前二夕寄弟 ※179
玉浦寓居書懷 ※180
九日爽韻酬橋本元吉見贈 ※181
十三夜對月有感示内 ※182 ※183
讀東坡集偶題其後 ※184
雨夕聞歌寄都寧父 ※185
古鏡絶句四首、爲田氏女玉薀(平田玉薀)題 ※186 ※187
ョ子成奔叔父喪於竹原、服闋省母於廣島、今又將還京寓、舟艤玉浦、囘得叙久遠、情見于詞 ※188
十一月二日發尾路、元吉(橋本竹下)伯秀(亀山夢研)士淵(宮原節庵)諸子送至牡牛嶺、別後書一絶以寄 ※189
重訪茶山翁 ※190
夜航海抵讃州 ※191 ※192
象山雜詠 二首 ※193
從象山抵高松途中口占 ※194
(答久家暢齋見贈※)
高松客舎別春樵山人 二首 ※195 ※196
鴉足津(うたつ)路上作
從丸龜抵下邨舟中作 ※197
琴浦老人(山本琴浦)宅觀王石谷山水畫册 二首 ※198
(瑜伽山雨中※)

(題岡初平竹月書屋※199 ※200)
重投息庵森岡君 ※201
書懷寄江戸諸故人 ※202
過西山僧舎 ※203
除夕 ※204
元日 ※205
東塢二絶 ※206
呈妙法講師 ※207
溪上二絶 ※208
浦氏席上、麻谷山人戲作鯛魚圖、使余題其上、葢以金山鯛魚之候在近也(吾邦稱鯛魚、即閩浙海中棘鬣魚也) ※209 ※210
金山鯛魚歌(時在岡山客舎) ※211
播州道中 五首 ※212 ※213
一谷懷古 ※214
攝州道中 七首 ※215 ※216
在浪華三日、聞京城花事方盛、因急忙僦舟遡澱水、舟中得六絶句 ※217 ※218
入京口占 三首 ※219
東山賞春偶成五十六字 ※220
同子成挈家觀花於嵐峽、是日子成攜丹醸、島(松洲)元(緑齋)二生摘月琴、故次章及之 ※221
臥病於烏丸巷寓舎旬餘日、聞春事將畢、因賦長句 ※222
三月廿八日病愈赴子成招飲 ※223
發京 ※224
湖上雜題 十首(録八) ※225 ※226
經不破關廢趾 ※227
雨霽 ※228
還家 ※229


3-1 菅茶山(1748〜1827) 文政8年

※『西征詩(乙集)』上冊にては頼山陽序文の後に萩原秋巌の書で付せられてゐたものが、『星巌集』では荘文響(荘門霞亭)によって書き改めら れ、乙集の末尾を飾ってゐる。後版も同じであり、ここには『西征詩』との字句異同を[新・旧]で示した。

(跋)
梁[伯兎夫妻・公圖與其妻張氏]還自長[碕・崎]。出示遊草[三・四]巻。余披讀諷玩一再。曰此余之詩也。[伯兎・公圖]瞠目直視曰。来徃三 年。其間所得。[自講自錬自録自編・搆自錬]。与子何關。余曰否。初子之来此。将輙回駕矣。余勸長[碕・崎]之遊。[而・則]子色[趦趄・次 且]曰。此行。[則・已]倦矣。而孟光既慣旅况。[行・行當]謀後擧。余乃謂[令内・張氏]曰。肥筑雖遠。[既・已]及半路。今而不果。前功 亦棄。[弓鞋三千里豈有再期乎・弓鞋之三千里豈又有再期乎]。[令内・張氏]頷之。余益従臾。而後子之轅始西矣。夫詩成於西遊。而西[游・ 遊]成於余。則謂之余之詩。亦不誣矣。不唯其冩情[叙景盡・叙景]。如吾口所出也。夫妻共[笑・咲]。乃書巻端。
[八十老人備後管晉帥識。  古梁漁人原翬書。 ・ 文政乙酉仲冬八十老人備後管晉帥識於黄葉夕陽邨舎。  荘文響書。]

(跋)
梁[伯兎夫妻・公圖と其の妻]張氏、長[碕・崎]より還り、遊草[三・四]巻を出し示す。余、披讀して諷玩一再、曰く「此れ余の詩なり。」 と。[伯兎・公圖]瞠目直視して曰く「来徃三年、其の間得る所、[自ら講じ、自ら錬り、自ら録し、自ら編む。・自ら搆へ、自ら錬る。]。子と 何ぞ關せん。」と。余曰く、「否、初め子の此に来るや、将に輙ち駕を回さんとす。余、長[碕・崎]の遊を勸むれば、[而るに・則ち]子の色、 [趦趄・次且]して曰く、「此の行、[則ち・已に]倦めり。而して孟光(梁鴻の妻:紅蘭)は既に旅况に慣る。[行々後擧を謀らん・行々當に後 學を謀るべきのみ。]」と。余、乃ち[令内・張氏]に謂ひて曰く、「肥筑遠しと雖も、[既・已]に半路に及ぶ。今にして果さすんば、前功亦棄 つ。[弓鞋三千里、豈に再期有らん乎。・弓鞋千里に之く、豈に又た再期有らん乎。]」と。[令内・張氏]之を頷く。余、益々従臾し、而して後 子の轅、始めて西せり。夫れ詩は西遊に成り、而して西[游・遊]は余に成る。則ち之を余の詩と謂ふも、亦た誣いざらん。唯だ、其の情を冩し、 [景を叙し盡くす・景を叙する]こと、吾が口出だす所の如くならざる也。」と。夫妻共に[笑・咲]ふ。乃ち巻端に書す。
[八十老人備後管晉帥識す。  古梁漁人原翬(萩原秋巌)書す。 ・ 文政乙酉仲冬、八十老人備後管晉帥、黄葉夕陽邨舎に識す。  荘文響 (荘門霞亭)書す。]


(3-2 吉村秋陽)(1797〜1866:三原藩儒) 文政12年

※『西征詩』下冊巻末に付せられるも、『星巌集』にて削除された。参考に載せる。※230 ※231)

(跋)
星巌梁君自長碕還。嚢中詩三百有餘篇皆璨璨珠玉也。書肆某某等就余而懇請遂上木。余初見君臞然清寒殆不勝衣。而議論卓絶自立於流俗表。盖其墨 守唐詩也貴有法也。古不云乎。範我馳驅舎矢如破之妙。亦将熟乎。茲是君苦心地。而與近世詩人強立門戸虚喝圖利之陋見。何唯宵壌哉。司空表聖詩 云。只今恃駿憑毛色。克ィ華騮賺殺人。獨恐今之讀詩者。亦徒按圖而遺其千里之能。也将俟此編之行。而後卜世間真識者焉耳。
   六郷史氏安藝吉晉謹識。

(跋)
星巌梁君、長碕より還る。嚢中、詩三百有餘篇、皆な璨璨(さんさん)たる珠玉なり。書肆の某某等、余に就きて懇請し、遂に上木す。
余、初めて君を見るに臞然清寒、殆んど衣に勝(た)へず。而して議論は卓絶、自ら流俗の表に立つ。盖し其れ唐詩を墨守するや、法有るを貴ぶ 也。
古へに云はずや、「範(規範通り)にして我れ馳驅すれば、矢を舎(はな)てば破るが如し(『孟子』)」の妙も、亦た将に茲(ここ)に熟さん か。
是れ君が苦心の地ならん。而して近世の詩人の、強いて門戸を立てて虚しく喝(おど)し、利を圖(はか)るの陋を見るに與(あずか)る。何ぞ唯 に宵壌(天地の差)のみならんや。
『司空表聖』(唐代の詩論書)の詩に云ふ。「只今は、駿(良馬)を恃むに(中身でなく)毛色に憑る。克ィ・華(驊)騮(名馬)、人を賺(あざ む)き殺す」と。
獨り恐る、今の詩を讀む者も亦た徒らに圖を按じ、而して其の千里の能を遺さん(「按図索驥」せん)とする也。
将に此の編の行を俟(ま)ちて、而して後、世間の真識の者を卜さんとするのみ。
   六郷史氏 安藝 吉晉(吉村秋陽) 謹しみて識す。

奥付 [初版乙 集奥付 ※]


 

【第4冊】

『星巌集 丙集一之三』 竹

4-1 大窪詩仏(1767〜1837) 天保7年序


余甞構江山詩屋於玉池、唱宋元清新之詩。一時望風来和者頻多、梁君公圖亦適来参社、年僅冠字、詩才精敏、數屈其坐人、余竊以異日騒壇主盟期之。既 而公圖西帰、尓来十數年、余家罹災、詩屋蕩然、於是玉池上無復詩人之跡、近日公圖復東、余叩其所造詣、詩律益細、隻字片句、不敢軽下、人亦稍々属 目、遂卜居於玉池、教授生徒云、今茲丙申之冬、公圖将刻其第三集以問世、請序於余、盖公圖專宗唐詩、余兼取宋元、趨向雖小異、而其以清新為主、則 未嘗不同也、嗚呼、余老矣、病懶日増、無復能為也已、今以公圖之才之敏、加以強壮之年、其於揚扢風雅、誘導後進、固當優為之、況斯集之出、来請教 者将益多、則余當日期公圖者、於是乎在焉、余焉得不喜而序之、天保丙申嘉平月、七十翁大窪行撰于錬屏精舎之南榮                
蒋塘大竹培書


余、甞て江山詩屋を玉池に構へ、宋・元の清新の詩を唱ふ。一時、風を望み来り和す者、頻りに多し。梁君公圖また適(たまたま)来りて社に参ず。年 僅かに冠字(二十歳)、詩才精敏、數(しばしば)其の坐人を屈す。余、竊かに異日の騒壇の主盟を以て之を期す。既にして(やがて)公圖西帰す。
爾来、十數年、余が家、災に罹り、詩屋蕩然、是に於て玉池の上に復た詩人の跡無し。
近日、公圖、復た東す。余、其の造詣の所を叩けば、詩律、益々細に、隻字片句、敢へて軽々しく下さず、人また稍々(やや)属目す。遂に玉池に卜居 し、生徒を教授すと云ふ。
今茲丙申(天保九年)の冬、公圖将に其の第三集を刻して以て世に問はんとし、序を余に請ふ。盖し公圖は專ら唐詩を宗とし、余は兼ぬるに宋元を取 る。趨向は小異ありと雖も、而して其れ清新を以て主と為すは、則ち未だ嘗て同じならずんばあらざる也。
嗚呼、余、老いたり矣。病懶、日に増し、復た能く為す無きのみ。今、公圖の才の敏を以て、加ふるに強壮の年を以てす。其れ風雅を揚扢(ふるいた た)せ、後進を誘導するに於て、固より當に優に之を為すべし。況んや斯(こ)の集の出づるや、来りて教へを請ふ者、将に益々多からんとす。則ち余 の當日に公圖に期せし者、是に於て在らん乎。余、焉(なん)ぞ喜んで而して之を序せざるを得んや。天保丙申(7年)嘉平(十二)月、七十翁、大窪 行(詩仏)、錬屏精舎の南榮にて撰す。                蒋塘大竹培書


4-2 齋藤拙堂(1797〜1865) 天保7年序


嚮者赤羽諸人狎主詩盟。皆以盛唐為宗。大抵膚立而中空。優孟衣冠至今歯冷。於是人皆降求宋元。又降求近世。取其最下者。瓣香奉之。遂以學唐為大 戒。如将凂焉。豈非大謬哉。詩之有唐。猶如書之有晉。文之有漢。不學焉則已。學焉則捨。是無所得師也。且宋元近世之詩。亦孰不出唐者。今飲其流而 忘其源。見其適有不善學者。遂并捨之。甚者詬病随之是何異於以子孫之不肖追罪父祖。人誰信之。況其身亦為雲仍昆来者乎。吾友梁公圖盖有慨於此。意 欲矯之。而懲嚮者固陋之弊。故其詩祈嚮於三唐。而博渉歴代。亡論宋元至明之季廸獻吉清之駿公貽上諸家。咀其華而含其英焉。略其瑕而擧其秀焉。哦一 字不妥。必百捶之。得一句不穏。必千錬之。劌腎鉥肝。務求合於古人。故其尋常應酬對客揮毫之作。人未甚奇之。至其閉門構思而成者。若老吏之立案書 獄一定不動也。人皆壓服焉。然余考公圖之詩前後漸異。甲乙二集。格法雖正。郛郭未甚廣。及今成此集。疆域更闢。駸々乎莫之能禦矣。且公圖歯未高。 孜々不懈。又假之年。年至五十六十。遂能牢籠百氏。大而化之。渾乎其雄。浩乎其沛然矣。則将与古之名家方駕而馳也。嗚呼桑間濮上韻起。而衛喪矣。 玉樹後庭之曲成。而陳并矣。詩雖曰小枝。其所關係亦大。今公圖来住江戸。開張壇坫。四方所引領矚望。其於雅鄭之辨。尤可弗慎哉。雖然少陵不云乎。 文章千古事。得失寸心知。公圖深於詩者也。自知之明尚何待余喋々乎。但余与公圖往来尤熟。及其索序。義不得辤。姑書所見。以諗世之讀此集者。天保 丙申古重陽。友人津藩齋藤謙撰
秋巌原翬(萩原秋巌)書


嚮(さき)に赤羽の諸人(※蘐園派)、狎(こもごも:交替して)詩盟を主(つかさ)どる。皆な盛唐を以て宗(むね)と為す。大抵、膚立にして中 空、優孟の衣冠(人まね)にして、今に至りて歯冷ゆるなり(=お寒い)。
是に於て人皆な宋元に降(くだ)りて求め、又近世に降りて求む。其の最下の者を取り、瓣香(焼香)して之を奉じ、遂に唐を學ぶを以て大戒と為す。 将に凂(けが)れんとするが如し(※『孟子』公孫丑章句上)。
豈に大なる謬りに非ずや。詩の唐に有るは、猶ほ書の晉(の王羲之)に有り、文の漢(の班固)に有るが如し。焉(ここ)に學ばざれば則ち已(や) み、焉に學べど則ち捨つ。是れ師を得る所なき也。
且つ宋元は近世の詩なり。亦た孰れか唐より出でざる者ぞ。今、其の流を飲みて其の源を忘る。其の適(たまたま)善からざる學者を有るを見て、遂に 并(あは)せて之を捨つ。甚しき者は詬病(ののしる)、之に随ふ。是れ何ぞ子孫の不肖を以て父祖を追罪するに異ならん。人、誰か之を信ぜん。況ん や其の身、亦た雲仍昆(昆孫・仍孫・雲孫)と為し来る者なるをや。
吾が友、梁公圖、盖し此に於て慨するあり。意、之を矯めんと欲し、嚮の固陋の弊を懲(こら)す。故(ことさら)に其の詩は三唐(初唐・盛唐・晩 唐)を祈嚮(愛好)し、歴代を博渉す。宋元を論(あげつら)ふ亡(な)く、明の季廸(高季廸)、獻吉(李夢陽)、清の駿公(呉偉業)、貽上(王士 禎)の諸家に至り、其の華を咀(か)み其の英を含む。其の瑕を略し其の秀を擧ぐ。
妥(やす)からざる一字を哦(くちづさ)めば、必ず之を百、捶(むちう)ち、穏かならざる一句を得れば、必ず之を千、錬る。腎を劌(さ)き肝を鉥 (うが)ち、務めて古人に合ふを求む。故に、其の尋常の應酬、對客して揮毫する作は、人未だ甚だしくは之を奇とせざるも、其の門を閉め、思ひを構 へて成る者に至っては、老吏の立案して獄(訴え)を書く若く、一に定まりて動かざる也。人、皆な壓服す。
然れども余、考ふるに、公圖の詩、前後漸(ようやく:しだいに)異る。甲乙二集。格法は正なると雖も、郛郭(城囲)未だ甚しくは廣からず。今に及 んで此の集成る。疆域(境界)更に闢(ひら)き、駸々乎として之を能く禦(まも)る莫し。且つ公圖の歯(年齢)未だ高からず。孜々として懈(おこ た)らず。又た年を之に假(貸)せば。年五十六十に至りて、遂に能く百氏を牢籠(凌駕)し、大いに之を化さん。渾たるかな、其れ雄たり。浩たるか な、それ沛然たり。則ち将に古への名家と与(とも)に方(なら)び駕し馳せんとする也。
嗚呼、桑間濮上の韻(淫靡な音楽)起りて衛は喪び、「玉樹後庭花」の曲(王妃賛美歌)成りて、陳は并(并呑)さる。詩は小枝と曰ふと雖も、其の關 係する所は亦た大なり。今、公圖来りて江戸に住み、壇坫(詩壇)を開張す。四方、引領(道案内)して矚望する所。其の雅・鄭(雅正の楽と鄭声の 楽)の辨(弁別)に於けるや、尤も慎さるべけんや。
然りと雖も少陵(杜甫)云はずや「文章は千古の事。得失寸心知る」と。公圖は詩に於いて深き者なり。自ら之を知る明たる、尚ほ何ぞ余の喋々たるを 待たんや。但だ余と公圖とは往来尤も熟せり。其の序を索めらるに及べば義、辞するを得ず。姑らく見る所を書して、以て世の此集を讀む者に諗(告) ぐ。天保丙申古重陽。友人津藩齋藤謙撰
秋巌原翬(萩原秋巌)書

『星巌丙集』巻1 梨花村草舎支集 (りかそんそうしゃ ししゅう) 文政9年4月〜文政10年3月 原藁 古今體共52首。刪存32首。               

星巌丙集目録      初版『星巌丙集 星巌絶句刪』に収めるものを(※)で示す。

草舎偶詠
草舎偶詠
三間茅棟古 三間茅棟古りて
耕釣自成隣 耕釣自ら隣を成す
有似鹿門隠 鹿門の隠るるに似る有り
兼之原憲貧 之に兼ぬるに原憲の貧
客稀長閉戸 客稀にして長しく戸を閉ぢ
花落不知春 花落ちて春を知らず
咄咄莫輕出 咄咄として軽々しく出るなかれ
滿城車馬塵 満城車馬の塵

王元章梅花屋圖 ※232
晝臥 ※233
讀書五首 (録三)
幽居 三首 (録一)
東漢隱逸詠 (録七)
秋海棠
端居書懷示菅太古
夜坐偶得
登華嚴寺閣、賦長句四韻
贈江馬氏細香 二首 (有引)
明星津石歌 (有引)
題松下高士圖爲嘯翁壽
冬日雜興 二首
春初濶r (冬朝 ※234 ※235)
溪居春事 二首 ※236
春夕留士錦(村瀬藤城)小飲、賦詩冩懷
遣興 二首 ※237
丁亥三月將赴京師、留題草舎壁 五首 (録二) ※238

『星巌丙集』巻2 京甸集 (きょうでんしゅう)文政10年4月〜文政12年1月  原藁 古今體共105首。刪存73首。

入京僦居於銅駝坊、偶得長句題壁
同ョ子成飲笠山宅 (夏夜飲笠山宅同ョ子成 ※239)
亞槐南洞公(日野資愛)席上同詠素馨花、得胸字 ※240
王海仙畫楊妃教鸚鵡圖 ※241
客居無聊、重作明星津石歌以遺、用東坡雪浪石韻
茉莉花絶句 三首 ※242 ※243
月夕鴨水酒樓聽妓戲咏 ※244
七月既望宮羽卿(宮崎木鷄)、要余泛舟於三筱水賞月、藤珠文(加藤王香)期而不至、珠文善吹簫 ※245 ※246
鴨西寓樓夜留菅希顔(那波希顔)話詩 ※247
秋夕書懷寄弟
(秋海棠 ※248)
畫鷹 ※249
送神實甫(神田柳溪)歸美濃時秋社 ※250
遇詩佛老人題其畫梅兼贈 (浪華旅舎 遇詩佛老人題其畫梅兼贈 ※251)
大定硯歌 (有引)
題漁隱圖贈菱湖老人
十二月望夜雪霽、亞槐南洞公席上、同賦即事、得鳴字、是夕爲新嘗會 ※252 ※253
元日 [戊子] ※254
正月十九日 上御南殿閲樂舞令士民縦觀、緯亦造焉、窃賦長句以紀盛事 ※255
二月初五、出郭散策經如亭柏山人舊寓、有感成長句四韵
爲一友人題亡姫高氏畫梨花圖 ※256
(題漁隱圖重贈菱湖老人 ※257)
讀小栗十洲遺稿、有如亭山人序潸然題一絶句 ※258 ※259
客居書懷寄弟
春曉 ※260
京華女兒曲 (有引)
偶題示仁科禮宗(仁科白石)
暮春遣興
三月二十八日遊音羽山、經 上皇離宮、時殘花尚爛漫 ※261
春盡日同子成遊沙川 二首 ※262 ※263
夏景沖澹、出遊書事
三樹水亭借榻 二首
日比野士力持鶴僊上人花卉圖巻、索余題言、爲賦絶句
夏初雨霽遣興
四月廿五日、陪南洞公登銕龍山寺、望琵琶湖、得湖字 ※264
五日偶題 二首 ※265
草堂小集、戲分和歌題、得待郭公 ※266
南洞公洗心堂集、同詠凌霄花 ※267
竹洞山人畫竹歌
奉和南洞公詠素馨花二十絶句、毎詩尾聯以唐句、葢倣宋子虚鯨背吟之體 (録十四首) ※268 ※269 ※270
中秋前夕爲茶山翁忌辰、南洞公招同ョ襄(頼山陽)及余、遥吊祭焉、次翁壁上舊題韵、各賦一絶句 ※271
送牧信矦(牧百峰)歸美濃省父兄、信矦久斷酒詩尾故及
九日同子成(頼山陽)元瑞(小石元瑞)春琴(浦上春琴)百谷(小田百谷)遊菩薩池、値雨遂抵巖倉、宿全上人房 ※272 ※273
暮秋有懷故園
九月廿七日、曉起望東山翠色欲流、因有所感題一絶句(早起―― ※274)
子成三樹水荘、次久家暢齋韵、暢齋落句云「風流今日馬相如」、恐非子成意也、余詩故爲之解
高雄山看紅葉 十二韵
沙川旗亭送龜田生歸加賀、得青字 ※275
夜過信矦
王維 ※276
元日 [己丑]
歳朝有行商、叫賈寶舩圖、都人士女爭買、置之枕凾中以祈夢、余戲倣之、作祈夢詩
上元夜子成三樹水荘、送添川仲穎遊江戸
春曉 (暁起 ※277)

『星巌丙集』巻3 歸省集 (きせいしゅう)文政12年 2月〜文政12年9月 原藁 古今體共53首。刪存25首。

二月二十日將省墓於美濃發京師口占
垂柳暮江邨舎詩爲服世華題 ※278
雇舟遊長命寺阻風 ※279
同小島碩平(小島春處)諸子飲湖亭、用東坡清虚堂韵
拉大冢正立諸子、觀花於湖邊荒墩、云是豐臣氏之墟、有感題長句四韻
澁谷叔明諸子要余舟遊、晩過大洞
食鯉魚膾有懷如亭山人
余讀書大岡氏後園、時辛夷花盛開、一日黄昏孤坐、誦王荊公書堂詩、因有所感成二絶句
所見
織女謡 (有引)
歸路
余還家、偃息已兩月、偶得長句題壁
園中即事 ※280
五日與客飲石榴花下戲詠
聞蝉 ※281
夏日雜興
送長戸士譲(長戸得齋)游學江戸、倣岑嘉州體

長戸士譲(長戸得齋)の江戸に游学するを送る、岑嘉州體に倣ふ。
驪歌一曲錦鞍[革薦] 驪歌[別れの歌]一曲、錦の鞍[革薦](あんせん:旅支度)。
欲盡不盡酒如泉   尽さんと欲すれども尽きず、酒、泉の如し。
丈夫乾坤誰知己   丈夫は乾坤に誰か知己ならん。
握手肝膽鐵石堅   握手して肝膽、鉄石堅し。
弘文書院如天録   弘文書院[太宗創設の学校]天禄[天禄閣:漢代の図書館]の如し。
玉牙萬軸光連娟   玉牙万軸、光連娟たり。
君在其間日勘校   君、其の間に在って日々に勘校※す。     ※通鑑擥要+續編+明史擥要の校勘に当り天保5年15冊で刊行。
中夜或見青黎煙   中夜或は見ん[劉向に教授した太乙仙人の]青黎の煙を。
簷前涼緑搖午影   簷前の涼緑、午影を揺らし 狼藉たる瓜蔬、香り筵に満つ。
狼藉瓜蔬香滿筵   狼藉たる瓜蔬、香は筵に満つ。
請君且坐日未昃   請ふ君、且(しば)らく坐せよ、日は未だ昃かず。
更與酤取斗十千   更にともに酤取(こしゅ:酒を買ふ)せん、斗十千。
有約明春吾亦往   約有り明春、吾れも亦往かん。
殘花滿城子規天   残花満城、子規の天。

食香魚(食溪鰛 ※282)
香魚を食ふ

芙蓉紅浅雨初凉   芙蓉、紅浅くして雨初めて凉し。
[魚發]々銀刀落夜梁 溌々たる銀刀、夜梁に落つ。
一段人生快心事   一段人生快心の事。
香魚時節在家郷   香魚の時節家郷に在り。

初秋
七月十三日祭掃 (七月十三日展墓 ※283)
下泖聞興
夜涼繙書到四更偶得句
寄懷彦藩老小野田君舜卿(小野田簡齋)、君多蔵異書、落句故及
九日有懷舊友源子肅


 

【第5冊】

『星巌集 丙集四之七』 瓠

『星巌丙集』巻4 問津集 (もんしんしゅう)文政12 年9月〜文政13年2月 原藁 古今體共58首。刪存32首。

九月十五日發大垣抵桑名舟中 三首
舟泊桑名城下
四日市驛食花蛤、戲題一絶句、示伊達子奐(伊達簫亭)原潛玉(原迪齋)二子

旅夕小酌示内 二首 (旅夕示内 ※284)
旅夕小酌、内に示す

燈火多情照客床   燈火多情、客床を照す。
残瓢有酒且須嘗   残瓢、酒有り、しばらく須らく嘗むべし。
又労袖裏繊繊玉   また袖裏の繊繊玉を労すれば、
一劈青柑[口巽]手香 一劈の青柑、手に噴いて香ばし。

早發白子驛書懷寄弟
津阪有功(津阪拙脩)宅、喜鹽田士鄂(塩田随齋)見訪、分夜雨滴空階爲韵得夜字
某氏幽蘭齋集、次平松子愿(平松楽齋)韻、兼示齋藤有終(齋藤拙堂)鹽田士鄂、時余將暫遊陽田
雲津 ※285
松阪客舎逢源子肅話舊 ※286
寄ョ子成
海會寺讀舊題有感 ※287
病中重寄子成
食石決明[鮑]
子愿宅詠瓶中茶梅 ※288
寒夜讀書有感
夜歸所見
寓懷書五十六字時寓有功(津阪拙脩)宅
十二月十四日作
竹灣雪艇圖
元日 [庚寅]
讀高青邸梅花詩 ※289 ※290
河村毅甫(河村竹坡)招飲、分韻得鹽、是夕會者凡廿餘人
春陰 (春陰次齋藤有終韻 ※291)
過阿波嶺、云是伊分界處 ※292
重過上野寓服文稼(服部竹塢)宅
二月十八日有終(齋藤拙堂)文稼諸子要余、觀梅於尾山月瀬諸村、是日雨雪入夜雲開月出有終文稼有詩、余次其韻
發伊州口號 二首

『星巌丙集』巻5 京甸支集 (きょうでんししゅう) 文政13年2 月〜文政13年9月 原藁 古今體共63首。刪存38首。

二月廿日入京、訪ョ子成三樹水荘、賦二絶句見贈、次韵以酬 ※293
雨中看東山同子成賦
游春漫興 五首
所見 ※294
東山過登登老人墓次奥道乙韵 ※295
猪飼敬所翁七十壽詩
居京僅一月將復赴伊州慨然書二十八字 (――時三月廿六日 ※296)
行入和州界沿路田疇多植芍藥因成詠 ※297
神童寺山中聞鶯 ※298
閏三月三日雨中對花小酌、賦示服文稼(服部竹塢) ※299
題福田半香酵李白圖 ※300
(四月五日發伊州口號 二首 ※301)
五月九日暴雨、鴨水寓樓上所見
玄玄山人磁印歌
同有終(齋藤拙堂)信矦(牧百峰)遊糾林、得青字 ※302
梅雨寄懷王香 ※302-2
夏日鴨水寓樓雜題 十首 (録七) (鴨西寓樓雜題 八首 ※303)
七月十二日、同子成有終巨海諸同人、觀荷花於柜椋湖、得五絶句 (録三) (柜椋湖觀荷花 ※304)
後十日重過柜椋湖、時夜黒荷氣條條襲人、彼美愛而不見、悵然有作
中秋前二夕、鴨水寓樓書懷時桂花盛開
燕間四適圖、南洞亞相公(日野資愛)命此題、以課都下諸文士、余亦與焉 (録二)
余頃購得鴨東間地百餘弓、疎水種竹、以爲偃息處、書喜 二首 (録一)

『星巌丙集』巻6 螽湖客漁集(しゅうこかくぎょしゅう) 天保元年10月〜天保3年9月 原藁古今體共157首。刪存107 首。

十月朔宿大津驛夢故山 [庚寅] ※305
早發大津舟中得五絶句 (録三) ※306 ※307
薄晩舟抵白鳥磯、先寄小野田舜卿(小野田簡齋)松平朝卿(天野康文)君二君、時余挈家落句故及之
松原寓居雜題 五首 (録三)
紅葉鯽魚歌
彦禰 二首
三浦氏環翠樓、寒雨忽霽、書矚目 ※308
紙帳
雨中過岡本君黄石齋夜話、得時字、君祖喜庵先生、以ツ韜起家、遂爲彦根藩柱石、君固不隕其業、兼渉文藝
二十四日遊宇津木君子同(宇津木龍臺:黄石の兄)月澤別墅、同諸子賦、得秋字
是夕雲湖君(木俣石香?)招飲、即席賦長句以贈
寄中川禄郎(中川漁村)家在薩摩村、距彦禰二十餘里、其地頗極清幽之致
歳暮雜感二十首、録示小野田君舜卿、要皆興之所至、率爾成編者、語無倫次、君幸照焉 (録十)
贈石蓮新野君、君詩酒風流琴手最高
雪夜讀書到五更有懷黄石君
元日 [辛卯]
次韵雪湖君立春前二日看桃花作
新柳
二月五日飲湖亭
泛舟重遊大洞題寺壁
四皓圍基[棋]圖 ※309
三月三日石香木俣君樂山亭集、同諸文士賦、得酣字
夏至前一日、同石蓮雪湖君遊湖亭、石蓮善繪事、雪湖工詩、而皆審於音律
養石同雪湖君賦
夜聽水鷄 ※310
宋高宗賜秦檜壷尊歌 (有引)
梅雨欲霽 ※311
五月八日入京寓鴨水西岸、稽留兩月得雜詩若干首 (原十首今禄五)
東山蓬舊妓戲贈
同貫名海屋高臺寺看胡枝花

七月八日歸湖上寓、忽見霞山上人(日野霞山)至、厨無一物、聊吟鄙句、以充供
 七月八日、湖上の寓に帰る、忽ち霞山上人至られるも、厨に一物無く、聊か鄙句を吟じて以て供に充てり。

吟鞋歸蹋白鷗沙  吟鞋帰り蹋(ふ)む白鴎沙。
仄徑穿林細綫斜  仄徑、林を穿ちて細綫斜めなり。
烏有田盧容老懶  烏んぞ田盧の老懶を容るる有らんや。
漫呼寓止做吾家   漫に寓止を呼びて吾家と做(な)す。
入門未問竹尊者  門に入りて未だ問はず竹尊者、
飛錫已來風法華  錫を飛ばして已に来る風法華。 
且用甚麼供養了  且(まさ)に甚麼[何物]を用ゐんとして供養了する
笑拈吻角一技花  笑って拈る、吻角の一技の花。

八月十五夜泛湖賞月 五首 (禄四) ※312
琵琶引、遊竹生島弔平經正
九日書懷
聞鴈
鳳來寺僧、持菅右府圖像乞題辭、敬書二十八字、以還時九月十三日也
牧信矦來自京師、雨窓對酌、分韵得尤 ※313
十月十日雨、廣君錫招同余及信矦、賞後園殘菊、得香字
冬日難興十首 (録八)
龍臺君(宇津木龍臺)喪女詩以吊慰 二首
聞王香近就西山卜隠居、企羨無已、乃賦長句四韻以寄贈
寒夜不寢偶得句
晏起
和岡本君冬夜讀兵書
和田君楚寶歳晩出城作
春初書懷寄池五山(菊池五山)先輩
戲題林和靖梅花詩意圖 ※314
人日寄高九鴻(高橋杏村)
東郊暮歸書事
二月十八日同石香君遊長久寺、寺主上人本善飲、是日持戒、故詩尾戲之
三日龍臺君開宴於清流一曲、分蘭亭序中字爲韵、得清字
韓信圖賛 二首
張艮圖賛 二首 (録一) ※315
招ョ子成、子成即日航湖見過、有長句輙歩其韵却贈
同子成泛裏湖、遂登大洞山、次茶山翁舊題韵各賦 ※316 ※317
鰣(ハス)魚網歌
子成將歸、賦一絶句重贈
題湖墅壁
甘雨應祈
贈女子河素影
涼夕澁谷叔明(谷如意の父)見過、留酌賦詩
湖中雜吟 十首 (録八) ※318 ※319
十五夜月下飲龍臺君新築樓上、得風字
夜坐與家人聞話、偶得長句

湖村霜曉

杲杲日初生 杲杲(こうこう)として日初めて生ず
繁霜果得晴 繁霜、果して晴を得たり
殘雲餘濕影 残雲、湿影を余し
折葦有乾聲 折葦、乾声有り
衝岸娵隅躍 岸を衝いて娵隅(雑魚)躍り
爬沙郭索行 沙を爬いて郭索(蟹)行く
鯽魚來不遠 鯽魚(フナ)来るも遠からず
紅葉半灣明 紅葉、半湾に明らかなり

余將東遊、入京問子成疾、子成時已沈綿、曰千里之行不可無言、遂賦一絶句見贈、輒次其韵以酬、時天保壬辰九月十七 夜也 ※320
余将に東遊せんとし、入京して子成の疾を問ふ。子成時已に沈綿、曰く千里の行に言なかるべからず、遂に賦して一絶句を贈らる。輒ち其の韵に次 いで以て酬ゆ、時に天保壬辰九月十七夜也

談山話水到宵分 山を談じ水を談じて宵分に到る
大堰奔流函嶺雲 大堰(大井川)の奔流、函嶺(箱根)の雲
翻恐郵亭孤枕夢 翻って恐る、郵亭孤枕の夢
屋梁落月見夫君 屋梁落月、夫君を見んことを

留別湖上諸友

『星巌丙集』巻7 竹兜集 (ちくとうしゅう) 天保3年9月〜天保3 年12月 原藁 古今體共34首。刪存25首。

九月廿六日發彦禰、是夕宿番馬驛
於越渡
參州道中
大風渡荒井江
遠州客次有懷故山
觀潮坂口號 ※321

旅壁讀栗山(柴野栗山)西野(市河寛齋)二先生渡天龍河舊題、因書其後 ※322
旅壁に栗山(柴野栗山)西野(市河寛齋)二先生の天龍河を渡る旧題を読み、因りて其の後に書す

天龍川大河流急  天龍川大にして、河流急なり
逝者悠悠成古今  逝く者は悠悠として、古今と成る
至竟人生均是客  至竟、人生は均しく是れ客
二翁何苦較昇沈  二翁、何を苦しみて昇沈を較べるか

日坂途中口占 二首
旅感
宿桑公圭(桑原苾堂)宅 二首 (島田驛桑公圭宅 ※323)
趙呉興書道コ經歌爲桑公圭賦

聞子成訃音、詩以哭寄 三首
子成の訃音を聞く、詩以て哭し寄す 三首

秋風暮雨滿城闉 秋風暮雨、城闉(じょういん:都を指す)に満つ
話別喃喃和病呻 別れを話して喃喃、病呻に和す
燈在黄花纔昨夢 「燈は黄花に在り」(前述の餞別の歌)纔かに昨夢
訃傳東海已前塵 訃は東海に伝へて、已に前塵たり
史才長處應無敵 史才長ずる処、まさに敵なかるべし
吟骨癯來倍有神 吟骨癯(や)せ来って倍(ますます)神有り
闔E一枝囘也筆 闔Eす、一枝回也(顔回)の筆
修文從此屬斯人 修文、此れより斯の人に属す(黄泉の修文郎の役はこれより顔回からこの人へ移った)

萬事悠悠付逝波 万事悠悠、逝波に付す
哲人無命欲如何 哲人、命なく、如何せんと欲す
憂懷略似長沙哭 憂懐ほぼ似たり、長沙の哭
樂府如聞勅勒歌 楽府聞くが如し、勅勒の歌
生硬骨將同北地 生硬骨は将に北地と同じからんとす
瑰奇才殆亞東坡 瑰奇の才は殆んど東坡に亜ぐ
一編政記盡心血 一編の「政記」心血を尽くす
灑到民痍痕更多 灑いで民痍に到れば痕(あと)更に多し

東山六六峯何處 東山六六峯(三十六峰)は何処ぞ
雲鎖泉臺慘不開 雲は泉台を鎖して惨として開かず
歳在龍蛇爭脱厄 歳は龍蛇(壬申:賢人がよく没すると謂ふ年)在り、いかでか厄を脱せん
人傳麴蘖遂爲災 人は伝ふ、麴蘖(酒)遂に災と為ると
一朝離掌雙珠泣 一朝掌を離れて双珠(子供たち)泣き
五夜看巣寡鵠哀 五夜(明け方)巣を看て寡鵠(妻)哀しむ
彼此撫來最惆悵 彼此撫し来って最も惆悵たり
海西有母望兒來 海西には母有り、児の来るを望めり

芙蓉 三首
宿植松東潭宅
入豆州界
函嶺 二十韵
高輪望海
抵江戸、寓巻先輩致遠宅 二首
江戸に抵り、巻先輩致遠(巻菱湖)の宅に寓す 二首

廿年重到故人堂 二十年重ねて到る、故人の堂
一笑依前具酒觴 一笑、前に依りて酒觴を具す
且喜座中多舊雨 且つ喜ぶ、座中に旧雨(旧友)多きを
共驚頭上帶新霜 共に驚く、頭上に新霜を帯びるを
摩天皁鶚何其氏@天を摩す皁鶚(そうがく:黒いミサゴ)、何ぞ其の(はげ)しき
委地黄花也自香 地に委したる黄花()もまた自ら香し
莫向侯門頻説項 侯門に向ひて頻りに項を説くことなかれ
老來心怯近聲光 老来、心怯るるは声光に近づくこと

飲酒論文夕復晨 飲酒、論文、夕また晨
偶然萍寄五経旬 偶然にも萍を寄したり五たび旬を経る
名流一代無多子 名流一代、多子なく
知己千年有幾人 知己千年、幾人か有る
臺閣鵷鸞非故舊 台閣の鵷鸞は故旧にあらず
滄洲鷗鷺是交親 滄洲の鷗鷺こそ是れ交親
掃門乞火吾何敢 門を掃いて火を乞はば吾れいかんせん
擬買煙波卜釣隣 煙波を買ひて釣隣を卜せんと擬す


 

【第6冊】

『星巌集 丙集八之十』 土

『星巌丙集』巻8 夷白盦(庵)集 一 (いはくあん しゅう1) 天保3年12月〜天保4年6月 原藁 古今體共82首。刪存 59首。

十二月望日、賃宅於八丁溝貧甚、作五絶句以自戲
二十七日曉起、微雪方霽、頗覺有春意、喜而賦長句 ※324
除夕 ※325
早春感興 二首 [癸已]
春初小雨 八韻 (巻氏蕭遠堂課題)
春寒 ※326
(詠史絶句二首 ※327)
二月五日同石田伯孝諸子、看梅於東郊、偶得長句 十韻
雨後夜坐、始聞蚯蚓鳴鳴 ※328
戲題梅花荘 四首 (録二) ※329
夷白盦春日雜興 九首
自題衣緇小影 十二首 (有引) ※330 ※331 ※332
永代橋曉望
睡起
闥偶詠
東叡山看花 五絶句 (録二) ※333
墨田川舟中賞春
過水東有感 ※334
春末書懷
午睡起書所見 ※335 ※336
食鉛錘魚(かつお)有感
薪水 (賈文 ※337)
立夏後三日、偶出遊黒田川
ョ承緒(頼聿庵)西歸賦長句以爲贐
夏晝濶r
雜句 五首 (録三) (夏日雜句五首 ※338)
午食焼筍、招同密上人(密乗上人)留談竟日、賦此以胎
題林良水禽圖 二十韻
煙花戲 二首 ※339
不忍池觀蓮
秋近 ※340

『星巌丙集』巻9 夷白盦(庵)集 二 (いはくあん しゅう2) 天保4年7月〜天保5年2月 原藁 古今體共75首。刪存 54首。

戲贈賈蟲人 ※341
立秋後二夕
蟋蟀 三首 ※342
牽牛花
星夕戲作
七月九日源士錦(村瀬藤城)見訪、遂相攜汎墨田川、酒中話舊
夜歸舟中 三首 ※343
中元夜書事 三首 ※344 ※345
悼亡二首代大槻士廣(大槻磐溪)
八月朔風雨紀事 四首 (録一) ※346
水戸藤田老臺(藤田東湖)臨江樓、參議公(徳川斉昭)見臨、賜咏月國風一章、老臺賦詩謝恩、今遙次高韵、以呈寄
中秋無月、士錦期而不至 ※347
夜將半雲破月來、重賦寄士錦 ※348
寓言 ※349
心越弾師詩、爲山本コ甫賦、コ甫傳師之琴法者、以九月晦爲師之忌辰、設香火、招琴友、各彈一曲、歳以爲例
爐頭 (冬暁 ※350)
憑高望關中形勢
枯菊 ※351
十月望前一夕、石田伯孝(石田醒齋)觴客其堂、會者九人、分風清月白如此良夜何爲韵、岡本省翁(岡本花亭)得清、紫野碧海得此、安積思順(安 積艮齋)得 良、稲垣木公(稲垣研嶽)得夜、塩田士鄂(塩田随齋)得月、大久保學海得何、江藤子西得如、主人伯孝得風、余得白
闘雀山茶圖 (五山堂課題) ※352
沙村暮歸途中口占
題ョ子成畫鴨川夜景圖 ※353 ※354
兩月不得家弟消息
冬日雜句 八首 (録四) ※355
檉宇林君翡蘭軒集分體得七律
暮歸所見
唐花 (草堂課題) ※356 ※357

李泌 二首 ※358
雜言 十首 (録六) ※359
元日 [甲午]
霞關曉望和犬冢士乾韻
梅花絶句 三首 (録一) ※360
古梅 ※361
春草
讀岐亭餘響題其後 (有引)
春興六言絶句 二首

『星巌丙集』巻10 餘燼集 (よじんしゅう) 天保5 年2月〜天保5年10月 原藁 古今體共74首。刪存63首。

火災紀事 八首 (録四) (災後雜題六首 ※362)
飛星篇
災後就某矦邸中借小舎、詩以紀事 二首
咏史絶句 三首
花影次加藩致堂老臺韻
有懷洛北溪山之勝、因作水墨小圖、係以二十八字 ※363 ※364
題王海仙(小田海仙)畫鯉魚圖 二首 ※365
初謁 華頂王(徳川斉昭猶子、有栖川織仁親王の子)恭賦小詩五章、以呈下執事 (録二) ※366
奉和 華頂王看落花有感之什
食松魚 ※367
過田家食新麪因戲作 ※368
戲詠茄子 二首
訪慊堂老人(松崎慊堂)隱居
新竹 二首 ※369
華頂王賜道服、副以叡藻一章恭紀
贈巻致遠、致遠以書優待於 華頂王、數羞吐茵之愛
夜坐 ※370
木俣子仁将歸彦禰、来告別、因賦此兼寄諸舊友 ※371 ※372
題梅關(菅井梅関)畫子成水西荘圖 ※373
雨霽夜坐、感舊而作
(星夕戲花 ※374)
書桐葉寄溪琴山人(菊池溪琴) ※375
高士遠(高久靄外)畫江山秋霽圖
園中 二首 (録一) ※376
梅龕君宅食香魚鮓有感
寓樓雜吟 十六首 (録十) ※377 ※378
水邊菊應 花頂王ヘ
送大槻士廣(大槻盤渓)歸奥州 三首 (録一) ※379
題雪堂老人畫竹 二首 (以下四首、並應 華頂王ヘ) ※380
殘菊 ※381
夜聞落葉
四君子圖賛 八首
雪湖君寓齋、詠盆種山茶花
龍池硯者余舊蔵也、今爲雪湖君有、一日過其齋、君出示、因賦絶句
十月念日重遊不忍池
木俣子仁大冢子乾諸子、邀大窪天民(大窪詩仏)及余、泛舟於墨田川、時余與天民並著 華頂王所賜道帽、第五句故及
偶書


 

【第7冊】

『星巌集 丁集一之四』 草

『星巌丁集』巻1 玉池生集 一 (ぎょくちせいしゅう 1) 天保5年11月〜天保6年8月 原藁 古今體共52首。刪存33首。

7-1 齋藤拙堂(1797〜1865) 天保7年序

玉池吟築記
江戸東隅、迤北至柳原、市塵稍踈、舊有一泓水、號曰玉池、郷者有西野天民両詩老、相継居於此、並有亭榭花竹之勝、以張壇坫、一時才俊、靡然従之、 號稱江湖社、海内艶慕焉、曽幾何時耶、累遭大災、風流蕩然、追憶往事、恍如隔世、而都門文雅、遂致寥落、可勝歎哉、吾友美濃梁公圖、少時預江湖之 盟、詩名既著、其後遠游、殆二十年而還、居未有所定、今茲秋遂相此地、求嚮之池、而弗可識、乃別開一池、環植竹樹、構屋於其上、而名依其舊、曰玉 池吟社築、余謂公圖江湖浪士也、飄然漫遊、不受拘束、詢其遊踪所及、東至筑波、西至筑石、多渉名山水之境、毎有會心處、輙寓琴書、然久者數年、近 者數月、棄去弗顧、若雪泥鴻爪然、今乃眷顧一池、屈冥飛之翼、下而居之、拮据経営、如将終身者、何哉、亦以夫詩派所出也、夫詩派甞出於此、流行都 門、波及海内、誰知此池涓々小、而其澤乃如此、是亦天下上游已、豈可聴其竭涸荒廢哉、今得公圖據而居之、廢者将興、涸者将流、前日之盛、将可復 也、然今之園池、非嚮園池、今之亭榭、非嚮之亭榭、而公圖詩派、又稍異於嚮二老、是名雖曰依舊、實則創新也、猶之少康之於夏、文叔之於漢、名同而 實異、公圖其可弗勉哉、今池已開、築已就矣、人皆引領刮目、将大有望於公圖也、及索其記、書以勗之、
天保甲午南至銕研學人齋藤謙撰
貫齋大野善書

玉池吟築記
江戸の東隅、迤北して柳原に至れば、市塵稍や踈れなり。舊と一泓水あり、號して玉池と曰ふ。
郷者(さき)に西野(市河寛齋)天民(大窪詩仏)の両詩老あり、相い継いで此に居し、並びに亭榭花竹の勝有りて、以て壇坫(文壇)を張る。一時の 才俊、靡然として之に従ふ。號して江湖社と稱し、海内艶慕す。
幾何(いくばく)の時を曽(かさ)ねしや、累(しき)りに大災に遭ひて、風流蕩然たり。往事を追憶すれば、恍として隔世の如く、而して都門の文 雅、遂に寥落を致す。歎くに勝ふべけんや。
吾が友、美濃の梁公圖(星巌)、少時江湖の盟に預り、詩名既に著はる。その後、遠游すること殆んど二十年にして還るに、居、いまだ定まる所あら ず。
今茲の秋、遂にこの地を相(み)て、嚮(さ)きの池を求むるも、而して識るべからず。
乃ち別に一池を開きて、竹樹を環らし植え、屋をその上に構へ、而して名づくるに、その舊に依りて玉池吟社築と曰ふ。
余謂ふ、公圖は江湖の浪士なり。飄然として漫遊して、拘束を受けず。その遊踪の及ぶ所を詢(と)へば、東は筑波に至り、西は筑石(筑紫)に至る。 多く名山水の境を渉り、會心の處ある毎に輙ち琴書を寓す。然れども久しきは數年、近きは數月して、棄て去りて顧みず。雪泥鴻爪の若く然り。
今は乃ち一池を眷顧して、冥飛の翼を屈し、下ってこれに居す。拮据経営して、将に身を終えんとする者の如きは何ぞや。亦た夫(か)の詩派の出ずる 所なるを以てなり。
夫(そ)れ詩派の甞て此に出、都門に流行し、海内に波及す。誰か知らん、此の池、涓々の小にして。而して其の澤(たく)のすなはち此の如きなる を。是れまた天下の上游(上流)のみ。豈に其の竭涸荒廢を聴(ゆる)すべけんや。
今、公圖を得て、據りて而して之に居る。廢されし者は将に興らんとし、涸れたる者は将に流れんとし、前日の盛、将に復すべからんとする也。
然れども今の園池は嚮きの園池に非ず、今の亭榭は嚮きの亭榭に非ず。而して公圖の詩派もまた嚮きの二老と稍や異れり。是れ名は舊に依ると曰ふと雖 も、實は則ち創新なり。猶ほ之れ(中興の祖である)少康の夏に於けるがごとく、文叔の漢に於けるがごとく、名は同じにして、而して實は異なる。
公圖それ勉めざるべけんや。今、池すでに開き、築すでに就く。人みな領を引いて刮目、将に大いに公圖に望むこと有らんとする也。其の記を索むに及 び、書して以て之を勗(つと)む。
天保甲午(五年)南至(冬至) 銕研學人、齋藤謙、撰す。
貫齋大野善、書す。

星巌丁集目録

玉池新築 五首 (録三)
叭叭児(九官鳥)詞、送飯田子義歸長門 (子義将歸持谷文晁画鴝[谷鳥][くよく]圖)
元日 [乙未]
十八日遊淺草、偶閲花市、買西施梅一株、賃小舟以載歸
戲題花挿
祭酒林先生(林述齋)谷中別墅、陪令嗣檉宇君看殘梅、同池無絃(菊池五山)賦
春朝臥雨、得長句
十春詞 (有引)
美人風箏 六首
竹蝶圖爲齋藤有終(齋藤拙堂)題
聞蛙次有終韵
同神實甫(神田柳溪)宮士淵(宮原拙庵)泛隅田川、賦長句兼贈二子
鞆津中村生、寄保命酒索詩
題栗伯資畫野鶉圖
和嶺田士徳(嶺田楓江)夏日濶r三首、戲倣其體
和天然上人壇浦懷古詩
題内張氏畫子母兎圖

『星巌丁集』巻2 玉池生集 二 (ぎょくちせいしゅう 2)  天保6年8月〜天保7年3月 原藁 古今體共73首。刪存52首。

乙木八月将赴下毛、行經忍城、訪芳川公晦(芳川襄齋)寓居、余甞別公晦於東海道沼津驛、倏忽二十餘年、得再晤、歡如平生、酒間賦長句見贈、 即次其韻以答
刀彌河上口號
中秋賞月於壽因堂、是夕陰リ不定
題畫絶句 十首 (録六)
客居 雜句 五首 (録三)
題竹谷道人(依田竹谷)畫二首、爲岡田突平
山路聞蝉
遊行道山題僧壁
自行道山夜返、至足利寓舎、神思恍惚不能寐、起圖其勝、并題長句、以示同游 (是日同游者、古志永世、渡邉以敬、魚住黄雲、近藤巨川、小林三 龜、江原翠 崖、箕輪洞水、凡七人、勸余留詩、乃賦長句四韵題壁、山僧見之大嗔、結末故及焉)
題僊露老人生壙
余玉池之寓、隙地皆種蔬、亦貧家小經濟也、今茲十月五日、以冬蔬命題、同諸子賦、兼抒衾臆、得十絶句 (録七)
詠史 三首 (録二)
冬日雜興 八首 (録五)
呉雪槎(佐野雪槎)佛手柑長春花、名曰拈花圖、戲題絶句
賀箕浦喬卿(箕浦鬳堂)生子 三首
有饋一大梨者、蠧敗不可食 戲題
讀小畑居敬(小畑詩山)東海道中詩
十月十日士鄂(鹽田随齋)齋中詠瓶梅、云天民(大窪詩仏)所贈、生方孟叔(生方鼎齋)詩先成、戲疊韻八首 (録一)
池無絃(菊池五山)題梅花鴟梟圖絶句、風刺隱秀、但恐後人讀之、或不知其何所指、余爲作此篇以代箋
雪中寄齋藤有終(齋藤拙堂)
和池無絃元日牡丹、戲倣其體 三首
題裴晉公緑探梅圖
花朝月下見蝶
觀四天王寺搭圖作歌
廢宅 二首
城西看芍藥 二首

『星巌丁集』巻3 玉池生集 三 (ぎょくちせいしゅう 3)  天保7年4月〜天保8年3月 原藁 古今體共53首。刪存22首。

初夏雜興三首、戲倣劔南體
雨中邨荘 二首
苦霖行
後苦霖行
七月十八日風
八月朔復風
歳晩書事 五首 (録二)
元日口占 二首 (録一)[丁酉]
詠殘梅示人
江山翁(大窪詩仏)挽詞 二首 (録一)
詠史 二首
闍女L感 二首

『星巌丁集』巻4 玉池生集 四 (ぎょくちせいしゅう 4)  天保8年4月〜天保8年12月 原藁 古今體共75首。刪存54首。

荷錢 (氷華吟社課題)
湖上看雨得雨字
夏日雜句三首 (録二)
素心蘭
不忍池觀蓮同大沼子壽(大沼枕山)
七月念日草堂小集、風雨驟至、高子遠(高久靄外)墨竹成、因題其上方
月露 (五山堂課題)
中秋對月
送二宮子容(二宮錦水)歸周防
題堯民野醉圖
韓蘄王策蹇圖
南洞公(日野資愛)以九日發軫、因献野菊一技、係以絶句
雨中同宮澤神遊(宮澤雲山)邨守抱儀(村守鷗嶼)、送南洞公至戸家驛、路上得長句、時歳儉無酒、抱儀攜茶
馬背阪小憩
能見堂吊心越禪師
雨将霽、遂抵金澤、賦示神遊抱儀索和
重寓総宜樓、有懷亡友大窪天民(大窪詩仏)山本公行(山本緑陰)佐羽蘭卿(佐羽淡齋)
漁人饋海貝數枚其殼外紫内紅、媚髪蒙額、意即閩俗所謂東海夫人者
過文庫故趾
金澤次神遊韻兼示抱儀 二首
十三夜對月次抱儀韻 二首
十四夜神奈川酒樓仍用前韻
醉後重題示同游
歸路過海晏寺看楓、倣南宋人體題二絶句
水戸藩老藤田君(藤田東湖)見示九日雨中從侯駕朝大府什、因次韻以贈
擘柑夜酌 六首 (録四)
冬リ得蒸韵
夜寒枕上有作
題荘子原(荘門霞亭)臨趙松雪墨蹟 二首 (録一)
菊池正觀公雙刀歌、贈子固(菊池溪琴)
有感
大沼子壽(大沼枕山)房山集題辭 五首
感懷 二首 (録一)
園爐小飲、家僮報道、雪大作
歸舟遇雪 (草堂課題)
雲兎 五首 (五山堂課題)
題賈島祭詩圖
偶閲顧銕卿清嘉録、呉俗以巨煤墼、爲歡喜團、除夕焼之、指小兒女之稱意者亦曰歡喜團、余也貧老、已無炭以過年、又無兒女慰眼前、乃作一絶句、 以自戲


 

【第8冊】

『星巌集 丁集五 閏集』 木

『星巌丁集』巻5 玉池生集 五 (ぎょくちせいしゅう 5)  天保9年1月〜天保10年5月 原藁 古今體共82首。刪存69首

戊戌元日、同塩田士鄂(塩田随齋)、天野九成(天野錦園)、大沼子壽(大沼枕山)、門田堯佐(門田朴齋)、名越士篤(名越緑阜)、三上九如 (三上松亭)、 肥部士誠(肥部雪溪)、燕集不忍池上酒巻立兆氷華吟館、子壽詩先成、因次其韻
五十自述 三首
城東早春次子壽韻 三首 (録二)
重遊城東仍用前韻贈子壽
感興
堤上
春游得咸韻
呈羽林中郎将津山(松平)侯
浄名院觀牡丹、用李玉溪韻
送大槻瑞卿(大槻西磐)歸省仙臺
立夏後三日、遊墨田川
大塔王子鎧片歌、爲齋藤有終(齋藤拙堂)賦
送羽倉明府(羽倉簡堂)巡撫七島八丈 五首
正齋主人峽中遊草題詞 三首
中秋月蝕到九分戲倣南宋人體
月色蟲聲 (五山堂課題) 書蹟あり
以滿城風雨近重陽爲首句、同遠山雲如、横山子達(小野湖山)賦
華頂王曩歳在江戸、再値九日詩云「籬落菊花寒有香、客中時序又重陽、平原渺渺一千里、何處登高望 帝郷」、音節悽惋、優入唐賢域、緯也、留滞 六年、値菊序、偶誦王之舊製不能無感焉、因仰賡玉韻以呈寄下執事
節後野菊
送士徳(嶺田楓江)解官游房州
霜夜聽鐘 (草堂課題)
連朝霜氣惨悽有懷湖中紅葉鯽、因作小圖係以一絶句
送小笠原明府(小笠原柳橋)赴任遠州小泉 十韻
陪檉宇(林檉宇)、梧南(林梧南)二君遊東叡大慈院、院主豁堂上人有詩、結語及賤子、因次其韻
子達(小野湖山)游常州、詩以寄懷、子達有弔古之癖、七八故及焉
梧南林君八宜樓集、得東韻
寄懷士徳(嶺田楓江)在房州
臘月六日祭酒林先生(林檉宇)翡蘭軒集、分消寒十題、余得檐雀
端居遣興
讀弘安紀
庭中梅開一技、同諸子賦、得歌字
赴遠山雲如祭詩會
次秋月韵贈雲如
歳晩偶興
春初雜興 三首
正月六日、散策至墨田川得二絶句
春雪大作、讀史到夜半作長句
春詞 二首 (録一)
牡丹芽 二首 (竹内九萬宅席上掲題)
曉望東叡山、花已盛開
芍藥遊蜂圖
夏初遊分香亭和子壽(大沼枕山)韵 八首
晝臥 三首 (録二)

『星巌閏集』巻1 蓮塘集 (れんとうしゅう) 天保10年6月〜天保10年11月 原藁 古今 體共72首。刪存63首

星巌閏集目録


8-1 大槻磐溪(1801〜1878)
  天保11年序

蓮塘集序
己亥六月梁公圖遽棄玉地之居而去自云寓於蓮塘以避暑養痾處余聞而嘆曰豈其然哉公圖之意究竟在於詩也既而風霜滿地敗荷蕩盡公圖飄然帰来復住玉池 乃寄似其所得詩一巻徴余弁言余一覧拍案曰果然公圖之詩進一境矣顧公圖平生以詩為命古人果實気味皆既咀嚼焉所歡者自然之境耳於是乎移城市之住入 山影湖光之中十里雲錦萬斛風香朝餐暮歙以養其性霊遂發為六十餘篇其瀟灑者蓮之出秋水而泥不染也其清麗者蓮之映朝暉而露未晞也其高潔者蓮之亭々 浄植而不可褻玩也被覧之際殆使人不辯其詩似蓮花蓮花似詩矣鳴呼公圖之詩融化渾成之妙至此亦可以無歉也歟若夫世之觀斯集者果能有悟乎此則森羅萬 象皆吾師矣寧獨蓮花而已哉。
天保庚子春王月磐溪大槻崇識
雪城中澤俊卿書

蓮塘集序
己亥(天保十年)六月、梁公圖、遽(には)かに玉地の居を棄てて去る。自ら云ふ。「蓮塘(不忍池)に寓して以て暑を避け痾を養ふ處とす」と。 余、聞いて嘆じて曰く、「豈に其れ然らんや(そうだろうか?)。公圖の意は究竟、詩に在る也。」と。
既にして風霜地に滿ち、敗荷蕩盡すれば、公圖飄然として帰り来り、復た玉池に住す。乃ち其の得る所の詩一巻を寄せ似(しめ)し、余が弁言を徴 す。余、一覧して案を拍って曰く、
「果然、公圖の詩、一境を進む。」と。
顧るに公圖、平生詩を以て命と為し、古人の果實気味、皆な既に咀嚼せり。歡とする所の者、自然の境のみ。是に於てか城市の住を移して、山影湖 光の中に入り、十里の雲錦、萬斛の風香、朝餐暮歙(不詳)、以て其の性霊を養ひ、遂に發して六十餘篇と為る。
其の瀟灑たる者は、蓮の秋水を出で、而して泥染めざる也。其の清麗なる者は蓮の朝暉に映じ、而して露未だ晞かざる也。其の高潔なる者は蓮の 亭々と浄植(すっきり立つ)し、而して褻玩すべからざる也。被覧の際、殆ど人をして其の詩の蓮花に似たるか、蓮花の詩に似たるかを辯ぜざらし む。
鳴呼、公圖の詩、融化渾成の妙、此に至る。亦た以て歉(あきたりる)無かる可きか。若し夫れ世の斯の集を觀る者、果して能く此に悟る有らば、 則ち森羅萬象、皆な吾が師なり。寧ぞ獨り蓮花のみならんや。
天保庚子(天保11年)春王月磐溪大槻崇識す※「春、王正月」の略(『春秋』)
雪城中澤俊卿(中澤雪城)書


8-2 福田半香(1804〜1864)

蓮塘小寓圖 
己亥六月訪 星巌先生不忍池寓居
時荷花咸開清香拂々襲人衣袂殆足水仙窟
宅地乃作小園貽之但恨粗手不能彷彿其萬一耳
  半香福田佶

己亥(天保十年)六月、星巌先生の不忍池の寓居を訪ふ。
時に荷花みな開き、清香拂々として人の衣袂を襲ひ、殆んとせ水仙窟に足る。
宅地は乃ち小園を作り、之を貽(のこ)せり。
但だ恨むは粗手(拙筆)の、其の萬一を能く彷彿せざることのみ。
  半香福田佶


8-3 大沼枕山(1818〜1891)

題星巌先生蓮塘小寓二首
雲水禽魚到處親
筆床茶竈毎随身
可無挑業傳清唱
恰有蓮花結浄因
一曲鑑湖帰隠者
二分明月属寸人
詩成散與城中去
又恐聲名落搢紳

垂柳陰涼十里灣
芰荷深處占清間
詩思優入三唐域
風骨高抽両晉間
杜考草堂憶錦水
謝公棲山近青山
逍遥自適散僊好
不羨玉皇香案班
   辱知大沼厚枕山氏拝題

題星巌先生の蓮塘小寓 二首
雲水禽魚、到る處親しみ
筆床茶竈、毎に身に随ふ
挑業の清唱を傳ふこと、なかるべけん
恰かも有り、蓮花の浄因を結ぶを
一曲の鑑(鏡のような)湖、隠者帰り
(湖面と)二分の明月、(画題のごとく)寸人を属す
詩、成りて、散じて與に城中に去れば
又た恐る、聲名の搢紳(貴顕)に落ちんことを。

垂柳の陰涼し、十里灣
芰荷の深き處、清間に占す
詩思は優れて入る、三唐の域
風骨は高く抽んず、両晉の間
杜考(杜甫)草堂、錦水を憶ひ
謝公(謝霊運)棲山、青山に近し
逍遥して自適す、散僊(仙人)の好(よしみ)
羨まず、玉皇の香案(机)の班(地位)を
   辱知たる大沼厚枕山氏、題を拝す。


不忍池寓園雜吟 三十五首 (録二十六)
龍吐水歌 (有引)
滴滴金(おぐるま) (五山堂課題)
秋夕寄士徳(嶺田楓江)
八月十四夜、同東林杜諸友飲墨水酒樓
雨後得月、分韻得庚
讀宗阿上人詩草題後
題氷華吟館壁 十首
天王寺看紅葉、戲作二絶句
華頂王賜梨、恭紀
書楠河州公碑拓本後
書李太白集後
讀宋金元明清諸家集各書後
蘇東坡
陸放翁
元遺山
虞道園
楊鐵崖
高青邱
李北地
呉梅村
王漁洋


『星巌閏集』巻2 花影庵詞 (かえいあんし)  原藁 小令中調 共85首刪存未定。※ 未刊。
『星巌閏集』巻3 玉雨山房詞 (ぎょくうさんぼうし)
原 藁 小令中調 共90首刪存未定。※ 未刊。

※ 天保12年の初版では閏集の後に後藤松陰の跋が入る。戊集を付した後版では後藤松陰の跋は『玉池吟社詩』の最 後に(京都竹苞書楼版では甲集の最後に)移されてゐる。また天保9年単独刊行の丙集にてはその最後に付されているとも謂はれる(伊藤信『梁川 星巌翁』529p)が未確認。

8-4 後藤松陰(17971864) 年月不明

跋   
星巌居士以詩先鳴於我濃。世無不之知矣。余年舞勺。欲一往叩詩法焉。而居士方遊江戸矣。以舞象。偶訪友人邨瀬士錦於北濃還。拉之与赴大垣。途 過其門。居士傾然出迎。鶏黍留宿。酒間鬮韻且談詩。居士曰。當今之詩率聞楊之糟粕耳。陸之餘唾耳。苟自非乗李杜之船。泊陶謝之源。豈可足語五 七字哉。既而一座詩成。居士亦擔胸支頤。若有所沈吟。竟不作而罷。尓後余下帷於浪華。一日居士突至曰。我今還自長崎矣。因握手道舊既後鬮韻。 亦不作而去。余与居士既已同國矣。相識又幾乎三十年矣。焉未嘗目其作詩也。無幾『西征詩』刻成。長篇短章。奇崛而不生硬。巧[縟]而不繊弱。 字錬句琢。皆有根拠。而無用事之跡。大垣帰本於温柔敦厚之旨。而未嘗見一語猶人也。而後知向者不作者。非不作也。不苟也。余聞昔居士之在江戸 也。僅弱冠。鋳一大鐵扇佩之。人怪焉問之。居士咲曰。某先生嘗衆辱乃公。若過之於途。将以送一撃也。居士状貌清臞。猶夫郊之寒島之痩。而其瞳 子白黒分明。有膽氣必此。其詩亦猶其為人云。頃又有清刻其集者。居士嘱余之。因書。
美濃後藤機識於浪華之松陰書寮
江戸萩原翬書

跋   
星巌居士、詩を以て先づ我が濃(美濃)に鳴る。世、之を知らざる無し。
余、年舞勺(13歳)にして。一たび往きて詩法を叩かんと欲す。而して居士、方(まさ)に江戸に遊べり。
舞象(15歳)を以て。偶(たまた)ま友人邨瀬士錦(村瀬藤城)、北濃より還るを訪ふ。之を拉して与(とも)に大垣へ赴き。途に其の門を過ぎ る。
居士傾然として出迎へ。鶏黍(もてなし)して宿に留む。酒間、鬮韻して(くじで分韻して詩を賦して)且つ詩を談ず。居士曰く。
當今の詩、率ね楊(万里)の糟粕のみ。陸(放翁)の餘唾のみと聞く。
苟くも李杜(李白・杜甫)の船に乗り。陶謝(陶淵明・謝霊運謝恵連)の源に泊るにあらざるよりは。豈に五七の字(詩)を語るに足るべけんや。
既にして(やがて)一座の詩成る。居士また胸を擔ひ頤を支へて。沈吟する所有る若(ごと)し。竟(つい)に作らず而して罷む。
尓後、余、浪華に帷を下す(開塾)。一日、居士、突として至りて曰く。我れ今、長崎より還る。因て握手し舊を道ひ既にして後、鬮韻するも。ま た作らずして去る。
余、居士と既に同國なり。相ひ識ること又幾んど三十年なり。焉ぞ未だ嘗て其の詩作を目にせざるや。
幾ばくもなく『西征詩』刻成す。長篇短章。奇崛なるも生硬ならず。巧縟なるも繊弱ならず。字を錬り句を琢(みが)く。
皆な根拠有り。而して用事の跡無し。大垣帰本於温柔敦厚の旨。而して未だ嘗て一語として人の猶(ごと)きを見ざる也。
而して後、向者(さき)に作らざるは。作らざるに非ざる也。苟(かりそめ)せざるを知る也。
余、聞く、昔、居士の江戸に在るや。僅かに弱冠にして。一大鐵扇を鋳して之を佩ぶ。人これを怪みて之に問ふ。
居士咲(わら)ひて曰く。某先生、嘗て乃公(俺様)を衆辱す。もし之れ、途に過ぎれば。将に以て一撃を送らんとする也と。
居士の状貌、清臞。猶ほ夫れ「郊(孟郊)の寒、島(賈島)の痩」のごとし。而して其の瞳子の白黒(白眼青眼)分明にして。膽氣必ず此れ有り。
其の詩、また猶ほ其の人と為りのごとしと云ふ。頃(このご)ろ又、其の集を清刻する者有り。居士、余に之を嘱す。因て書す。
美濃の後藤機、浪華の松陰書寮にて識す。
江戸、萩原翬(萩原秋巌)書


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【初版の第9冊】

『紅蘭小集』 辰

『紅蘭小集』巻1 芙蓉鏡閣集(文政3年12月〜天保元年2月) 原藁  古今體共183首。刪存69首。

『紅蘭小集』巻2 芙蓉鏡閣集(天 保元年3月〜11年11月) 原藁 古今體共130首。刪存62首。

   


【後版 第9冊】

『星巌戊集 一之四』 日 『玉 池唫社詩 一集』


9-1 齋藤誠軒(1726〜1876:拙堂長男) 嘉永6年序


星巌戊集序
癸丑春余乞暇遊京師。探討東山諸勝。因訪星巌梁翁於鴨水之香B翁延余楼上。仰對山。俯臨水。置酒欵接。醉後出一詩冊曰。是余戊集也。乃父既序 丙丁二集。子其此得不序乎。受而觀之。錦綉絢爛。眩惑人目。且愡々告別。不暇逐章玩味。猶歴覧東山諸勝。而恍惚不能記也。余以為京畿人文之藪 澤。而翁為海内宗工。以余輩後進序之。非濫竽之吹。則佛頭之糞耳。辭之再三。翁笑而不許。既帰郷。追想與翁對話於沙明嵐翠間。歴々在目前。乃 試以翁詩比東山鴨水之勝可乎。翁風神瀟灑出塵表。故詩亦清而秀。然余以為。何世無詩。何國無詩人。詩人之習。大率失於空疎。不讀書。獨吾梁翁 上自羣經諸史。下至仙籙佛典稗官小説。無所不窺。咀其華而含其英。刻苦磨礱。出之於詩。故其詩清而不枯。秀而不浮。異他之以詩名家者矣。夫東 山之秀麗。鴨水之清冷。世皆稱其勝。然余又以為。何地無山。何郷無水。何山不秀。何水不清。而東山鴨水。獨擅美於四方何哉。盖以其在都下。山 則名藍據焉。寶塔聳焉。水則長橋跨焉。曲欄架焉。五歩有閣。十歩有臺。有花的礫。有樹玲瓏。園而泉石亭榭。池而藻荇鳧鴈。其外則翠楼勾欄。歌 舞吹弾。百戯陳。百貨列。其経営布置之工。亦已至矣。而包之以秀麗之山。環之以清冷之水。故繁而不襍。華而不縟。是山水之繁華。相待而然者。 可以見其勝於他山。而翁之詩之勝他人。亦可喩也。余雖未能熟玩其戊集。嘗讀甲乙丙丁集而知之。故有此説。不知翁果首肯否。姑書以為序。
嘉永癸丑端午後三日
津藩齋藤正格撰
随鷗巌谷脩書

星巌戊集序
癸丑の春、余、暇を乞ひて京師に遊び、東山の諸勝を探討し、因て星巌梁翁を鴨水の高ノ訪ふ。翁、余を楼上に延き、仰むいて山に對し、俯いて水 に臨み、置酒欵接し、醉後一詩冊を出して曰く、
「是れ余が戊集なり。乃父(拙堂)、既に丙・丁の二集に序す。子、其れ此に序せざるを得んや。」と。
受けて之を觀る。錦綉絢爛、人目を眩惑す。且つ(とりあへず)愡々と別れを告ぐ。章を逐ひて玩味するに暇あらず。猶ほ東山諸勝を歴覧するごと く、恍惚として記する能はざる也。余、以為らく
「京畿は人文の藪澤にして、翁は海内の宗工たり。余輩後進を以て之に序するは「濫竽の吹(:邪魔)」に非ざれば則ち「佛頭の糞(:失礼)」の み。之を辭すること再三。翁、笑って許さず。既にして郷に帰る。翁と沙明嵐翠の間に對話せるを追想するに、歴々目前に在り。乃ち試に翁の詩を 以て東山鴨水の勝に比して可ならんか。翁、風神瀟灑、塵表に出づ。故に詩も亦た清にして秀。」と。然れども余、以為へらく、
「何の世か詩、無からん、何の國か、詩人無からん。詩人の習ひ、大率空疎に失し、書を讀まず。獨り吾が梁翁、上は羣經諸史より、下は仙籙佛典 稗官小説に至るまで窺はざる所無し。其の華を咀(か)みて其の英を含み、刻苦磨礱して、之を詩に出す。故に其の詩、清にして枯ならず、秀にし て浮ならず。他の、詩を以て名家とする者に異れり。夫れ東山の秀麗、鴨水の清冷、世、皆な其の勝を稱す。」と。然れども余、又た以為へらく、
「何の地か山、無からん。何の郷か水、無からん。何の山か秀でず、何の水か清からざらん。而して東山鴨水の獨り美を四方に擅(ほしいまま)に するは何ぞや。盖し其の都下に在るを以て山には則ち名藍(青山)據り、寶塔聳え、水には則ち長橋跨り、曲欄架す。五歩に閣有り、十歩に臺有 り。花の的礫たる有り、樹の玲瓏たる有り。園には而して泉石亭榭、池には而して藻荇鳧鴈。其の外には則ち翠楼勾欄、歌舞吹弾、百戯陳し、百貨 列す。其の経営布置の工、亦た已に至れり。而して之を包むに秀麗の山を以てし、之を環(めぐ)らすに清冷の水を以てす。故に繁にして雜なら ず。華にして縟ならず。是れ山水の繁華と相待ちて然る者、以て其の他山に勝れるを見るべし。而して翁の詩の他人に勝れる、亦た喩ふべき也。」 と。
余、未だ其の戊集を熟玩する能はずと雖も、嘗て甲・乙・丙・丁集を讀んで之を知る。故に此の説有り。知らず、翁果して首肯するや否や。姑らく (とりあへず)書して以て序と為す。
嘉永癸丑(6年)端午後三日(5月8日)
津藩齋藤正格撰
随鷗巌谷脩(巌谷一六)書


星巌戊集目録


『星巌戊集』巻1 玉池生後集 (ぎょくちせいこうしゅう)  天保10年11月〜天保12年3月 原藁 古今 體共98首。刪存64首

玉池是西野(市河寛齋)天民(大窪詩仏)二老故居、歴火災換主人、不知其幾也、今茲甲午之冬、余賃池傍廢地數畝、 結茅宇、以庇琴書、亦但一宿蘧廬(きょろ:宿)、 不能久焉耳、詩以紀事 (此編丁集偶遺之今収于此)
己亥十一月再移居、於玉池、時冬至
讀唐史 二首
陳希夷長睡圖 (草堂課題)
雪大作、走筆作長句
古侠行
絶壑孤松圖
新春
枕上
正月念日、同松坪木村君遊東郊梅園
新舊二梅園、實爲春初遊觀之最、近有別剏一園延看客者、因戲作
春日偶興 五首 (録三)
墨水遊春詞 十首
東皐翁壽詞
明皇雙六圖 (草堂課題)
王荊公放魚圖
不忍池十詠同池無絃(菊池五山)賦
新樹
風荷
落照
遠燈
涼雨
沙禽
卯月
晩鐘
霽雪
小松鹽田 (豫州三津M松田氏九霞樓十二景之一)
客居
竹内九萬(竹内雲濤)抄今才子詩成小冊、人凡百名、來乞余題言
題言
大沼子壽(大沼枕山)詩集題辭
澤井素庵吟香集題題辭
偶題
横山懷之(小野湖山)江州人、自號湖山、來寓余塾、年僅二十七、志気頗壮、客歳周游常房間、頃還江戸、欲刻其詩、索余題言、乃賦四絶句、以與 之
自嘲
自解
古歌四首 (録二)
雪中聞折竹聲、意甚快、乃書二十字、時臈月年五夜也
歳暮襍感 五首 (録三)
新春襍感 五首 (録三)
城東尋春題田家壁
春リ絶佳留佐久間子廸(佐久間象山)
春日寓興 五首 (録一)
野干圖
辛丑二月同梅癡上人賦

『星巌戊集』巻2 浪淘集 (ろうとうしゅう)  天保12年3月〜天保12年7月 原藁 古今體 共95首。刪存73首

幸丑三月将東遊、題壁二首
九日發江戸佐久間子迪(佐久間象山)、大沼子壽(大沼枕山)、送至行徳、途中口占示二子
相馬懷古
泛天鵞湖
夜下刀爾河
訪宮本茶村、留宿話舊
潮來竹枝詞
題十二橋酒樓
鹿嶋神廟
縑浦(かたとりのうら)
訪寺田雲峰於大貫官舎
登西邱望霞浦筑波山諸勝
舟發佐原、留別清宮葛井金田三子、次金田韵
訪山口尚褧績麻川寓居
銚子港
海濱行
九十九里
海保順徳宅觀徠翁草書屏風、筆勢流動、如驚虵入草、殆神品也
三木酒店
同遠山雲如、河野士貞遊八湖
五日遊齋藤公和大洋庵
公和爲余下修綱、獲巨魚数百頭、作膾炙羹湯、随意調理、以侑菖蒲酒、座客皆醉、余忽有感於[杜]子美打魚行、惻然作此詩
食蟹
題遠山雲如寓居
士貞(河野士貞)静觀樓對雨同諸子賦、雲如詩先成、因歩其韵
夜聞雨
題中村得之蕉陰窩
夜聞潮
余在東金講杜詩、從遊子弟率皆善飲、其来必載酒肴、而余之量不勝蕉葉、勉強對酌、戲摘杜詩中語爲一絶句
一宮驛
登大東碕望海
新官
勝浦
興津
従守屋至臺宿途中作
市阪
小湊
天津題酒樓壁
東條山中、訪龍泉通上人、不遇
浪太
蓬島
大夫碕
笏門
布良
洲嘴
鏡浦
訪景山氏含翠書屋
經里見氏故墟
讀鈴木彦之松塘集題二律
題加藤世美掬靄山房、二首
掬靄山房 四詠
群巒朝霧
西崦晩晴
孤村煙雨
北澗鳴泉
蓑岡
題平井氏遺愛樓
龍嶋
遊鋸山、探一覧亭羅漢峰諸勝、遂宿大静上人房、賦長句四韵
二偈示山中諸道人
訪羽倉明府(羽倉簡堂)冨津官含
従冨津至歸去津、舟中作
曾我野訪小河原某、齋藤飯高二先生先在、遂同稽留數日、詩酒談笑、亦客中一適
題玄要老人茶室
行徳買舟至江戸

『星巌戊集』巻3 玉池生後集 (ぎょくちせいこうしゅう)  天保12年7月〜天保14年12月 原藁 古今 體共69首。刪存45首

詠史 二首(別本「諸葛武侯像賛」に作る)
秋夕雨涼
宇野士方(宇野南村)恵紙、其質粗硬甚便常用、乃戲作一絶句
秋日端居遣興
過故某公別墅
豊稔紀事 二首 (録一)
觀縄伎有感
晩秋冩懷 二首
冬日雜吟
和大沼子壽(大沼枕山)寒夜吟 (時子壽讀書於梅癡上人房)
壬寅元日 二首
送朝川五鼎(朝川善庵)應大村矦之聘赴肥前 三首
墨水春日所見 二首
陪岡本江州使君(岡本黄石)及笑譽上人、遊天王寺、賞櫻花
重遊天王寺
春日偶興 三首
落花聲、爲朝川五鼎賦
春盡日書感
新夏絶句
深川夕眺
送士人歸國
梅霖
懷子壽(大沼枕山)在房州、兼寄彦之(鱸松塘)
夏曉枕上
夏夕喜潜龍道人至
贈宮澤榊遊(宮澤雲山)
醉中誦菊池士固(菊池溪琴)海荘集作歌
寄題永野厚義封對嶽樓、樓在肥前天草海濱、北對温仙嶽
寄題黙黙翁故居
秋蝶
題玉岡生長橋竹技巻尾 二首 (録一)
九日
賈島驢背吟口詩圖
寄題木内孝卿欣賞亭四勝 (曩年余薄遊信州、訪木内孝卿欣賞亭、識所謂四勝者、頃孝卿之書来請其寄題、因爲賦四絶句云)
廻野櫻雲
秧田煙雨
秋牕月影
千峰積雲
冬夜絶句代人作

『星巌戊集』巻4 玉池生後集 (ぎょくちせいこうしゅう)  弘化元年10月〜弘化2年6月 原藁 古今體共 130首。刪存98首

甲辰十月初五日同大沼子壽(大沼枕山)阪野大来(阪野耕雨)遊海晏寺看紅葉、歸途經澤庵和尚墓、墓在東海寺後
東海寺上方望海作歌
(管理人蔵書のこの丁、版心に「星巌戊集巻四 一ノ四」とあり、けだし削除訂正の結果と思はれる。)

題不明の七絶三首                     (『梁川星巌全集』に未載。前丁欠如のため題名未詳のまま残存した分。)
臘月念三日作                        (※※後出)
唐花                              (※後出)
癸卯新正口號                        (『梁川星巌全集』に未載。)
上元夜招子迪(佐久間象山)小飲、談及英夷犯支那事(※※※題名を変へて後出) 
(管理人蔵書のこの丁、版心に「星巌戊集巻四 四」とあり。)

(管理人蔵書のこの丁、版心に「星巌戊集巻四 五」とあり、本来改訂版は辻褄を合せるため、一ノ四からここに継い だものと思はれる。)
正月二十日遊梅荘
夢遊松島
寓興
題畫絶句 十首 (録八)
江南落梅
山中琴趣
江上烟雨
杏花雙燕
春山雨意
竹牕聽風
溪村初夏
家山歸夢
三日偶題
觀南海圖經有感、題絶句
土州森田簡夫(森田梅礀)以間年祗役江戸、毎役必来參集余社、六七年間詩進幾層、駸駸乎将突過前人、今茲癸卯春、梅礀集刻成、欣賞之餘、爲題 長句
大槻士廣磐溪詩鈔題辭 四首 (録三)
讀小林徳方皇朝詠史百絶 三首 (録二)
詠史
明月入簾應 華頂親王ヘ
半生
貧居
山中夜話圖
偶書
加藤世美(加藤霞石)蔵一怪石、形似其郷伊豫山、困命曰小豫山、頂者携入都門、人爭賞之、余甞南遊歴房州、識所謂伊豫山者、今見典型、重開一 笑顔
讀齋藤士徳(嶺田楓江)西遊紀行
牢落
遠山雲如頃者徙於蟹路村、匾其堂曰蟹紅魚白處、寄新吟一百首請題言、乃爲賦長句四韻二篇
唐花           (※再出。)
甲辰元日口號贈鶏
題折技襍花圖
寓懷
三弔詩
十四日雨中、輿疾至東叡山看殘花、遂訪圓公房作三絶句
二十五日遊團子阪 二首
大槻士廣(大槻磐溪)火後寓某公邸舎、頃聞新宅既成、移居之、余適罹疾不能往焉、因賦長句四韻詩、以寄賀
雨霽
赤石宮埼伯恭將歸郷、來告別因回憶舊遊、有所感、遂賦絶句兼贐其行
四月十三日訪東叡圓公始聞子規
書感
看松有感
老僧
偶成
醉後題野店壁
詠史
題禊帖後
題宋四家法帖後
余齢垂六十、始學書、日課五百字、亦唯東坡所謂「下士晩聞道、聊以拙自修者耳」、作二絶句以自調
臘月念三日作             (※※再出。)
上元夜招子迪(佐久間象山)小飲  (※※※再出。)
墨水暮歸舟所見
遊春絶句
賣文
春末夏初
偶成絶句 二首
余歸計既決矣、客勸筮仕者、故作是詩
乙巳季夏将西歸、題四絶句
答友人
先寄郷友
別諸門生
留題寓館


  

【後版 第10冊】

『玉池唫社詩 一集』 月

10-1 林鶴梁(1806〜1878) 天保10年序

玉池吟社詩序
甚矣方今詩道之榛蕪也、不問風調、不論氣格、唯淺薄
鄙猥沾々自喜、良可厭也、獨梁星巌翁之詩、業已造古
名家奧處而又有表於一洗世之陋習、故有往而問詩
者輙懇々為之叩管籥、是以諸生翕然遊玉池吟社
者、日多一日、其經承翁之指畫者、其詩悉有風調氣格
可觀、而雲如雲濤輩實為之翹楚、頃者編輯同社詩若
干首、名曰玉池吟社詩、謀梓以公諸世、一日雲如袖此
巻、来乞余序、時煎茶方熟、各啜一椀、且謁之曰、凡煎茶
火候最難得、夫緩火炙、活火■、人々皆能意之、然未必
實得其候、苟実得其作、則茶味甘芳、潤吻洗腸、可以使
酲消而骨爽、可以使眠減而神清、今子輩已親炙於翁、
而翁教人之妙若彼、則猶茶之得候乎、此巻一出于世、
則潤渇膓澤燦吻、使昏々者精神清爽也必矣、乃一洗
方今詩人鄙薄之風、開闢詩道之榛蕪亦何難之有、請
以此為序如何、雲如笑而不答乃書以為之、天保己亥
春三月鶴橋學人林長孺撰
   單山高齋有常(高齋單山)書

玉池吟社詩序
甚しきかな、方今の詩道の榛蕪(邪)たるや、風調を問はず、氣格を論ぜず、唯だ淺薄鄙猥にして沾々(ちょうちょう:軽薄)として自ら喜 ぶ、良(まこと)に厭ふべき也。
獨り梁星巌翁の詩、業すでに古への名家の奧處に造(いた)る。而して又た表は、世の陋習を一洗するに有り。
故に往きて詩を問ふ者有れば、輙ち懇々と之が為に管籥(かんやく:)を叩發す。
是を以て諸生、翕然として玉池吟社に遊ぶ者、日に一日に多く、其の翁の指したる畫を經承する者、其の詩は悉く風調氣格の觀るべきもの有 り。
而して雲如雲濤(遠山雲如・竹内雲濤)の輩は、實に之の翹楚(俊英)為り。
頃者(このごろ)同社の詩、若干首を編輯して、名づけて「玉池吟社詩」と曰ひ、梓を謀り、以て諸(これ)を世に公にす。
一日、雲如、此の巻を袖にして来りて余に序を乞ふ。時に煎茶まさに熟すべく、各、一椀を啜り、且つ之を謁して曰く、
凡そ煎茶の火候、最も得ること難、夫れ火を緩うして炙り、火を活して■す、人々皆な能く之を意ふ、然れども未だ必ずしも其の候を實得せ ず。
苟しくも其の候を実得せば、則ち茶味は甘芳、吻を潤ほし腸を洗ふ。以て酲(宿酔)消し而して骨(肉体)、爽ならしむべく、以て眠(眠気) を減じ而して神(精神)、清からしむべし。
今、子輩すでに翁に親炙す、而して翁、人に之の妙を教ふこと彼の若きは、則ち猶ほ茶の候を得るがごときか。
此の巻、一たび世に出づれば、則ち渇膓を潤ほし燦吻を澤し、昏々たる者をして精神を清爽ならしめんや、必ずなり。
乃ち方今詩人の鄙薄の風を一洗す。詩道の榛蕪を開闢すること、また何ぞ之れ難きこと有らん。
請以此為序如何、雲如笑而不答、乃ち書して以て之を為す。
天保己亥(天保十年)春三月、鶴橋學人林長孺、撰す。
   單山高齋有常(高齋單山)書す。


凡言(橘湘言葉雲)

玉池吟社詩姓名目次

『玉池吟社詩』巻1 (ぎょくちぎんしゃし)  玉池吟社門人アンソロ ジー

巻之一
岡本廸 (岡本黄石:彦根藩臣)
新野陵 (新野菊潭・石蓮:彦根藩臣)
栢淵嘉一 (栢淵蛙亭:美濃の人)
宇野義以 (宇野南村:美濃の人)
巖田澂 (巖田晴潭:江戸の人)
名越敏樹 (名越緑阜:水戸の人)
矢口正常 (矢口謙齋:江戸の人)
大槻格 (大槻習齋:仙台の人)
大槻禎 (大槻西磐:仙台の人)
齋藤馨 (齋藤竹堂:仙台の人)
前川精 (前川朴處:近江の人)
小林至静 (小林畏堂:信州松代の人)
竹村族孝 (竹村可醫:信州松代の人)
鈴木紳 (鈴木石城:江戸の人)
廣瀬維 (廣瀬龍河:江戸の人)
箕浦谷 (箕浦鬳堂:江戸の人、『星巌集』凡例作者)
加藤濟 (加藤蓑邱:安房の人)
加藤權 (加藤濟の息子)
吉田淳 (吉田晁K:尾張の人)
百川璞 (百川名山・學庵:弘前の人)
高橋久 (高橋松園:奥羽の人)
小川通慎 (小川述堂・瀛洲:上総の人)
嶺田雋 (嶺田楓江:江戸の人)


『玉池吟社詩』巻2 (ぎょくちぎんしゃし) 玉池吟社門人アンソロ ジー

横山巻 (横山湖山(小野湖山): 近江の人)
高津濤 (高津鷗仙:信州小布施の人)
高井健 (高井鴻山:信州小布施の人)
根岸篤 (根岸緑山:信州小布施の人)
佐治好察 (佐治松雲:亀山藩臣)
近藤幸殖 (近藤鐸山:亀山藩臣)
平巖元光 (平巖毬郊:亀山藩臣)
加藤表 (加藤雲裳:亀山藩臣)
巖ア復 (巖ア念齋:亀山藩臣)
菱田旟 (菱田九瀬:美濃の人)
中村稌 (中村水亭:美濃の人)
栢淵建 (栢淵旭窓:美濃の人)
林謙 (林坦齋:信濃の人)
林静 (林文石:坦齋の弟)
竹内鵬 (竹内雲濤・醉死道人:江戸の人)
遠山澹 (遠山雲如:江戸の人)


  

【後版 第11冊】

『玉池唫社詩 一集』 星

『玉池吟社詩』巻3 (ぎょくちぎんしゃし)  玉池吟社門人アンソロ ジー

藤井啓 (藤井雨香(藤井竹外): 高槻の人)
大沼厚 (大沼枕山:江戸の人)
澤井桂 (澤井鶴汀:遠江の人)
菅野潔 (菅野乾齋・亀嶼:姫路の人)
杉山(檆山)懿 (檆山随翁・大夢老人:江戸の人)
玉井華 (玉井海嶠:越後の人)
天野韶 (天野錦園:江戸の人)
市島泰 (市島追蠡:越後の人)
生方寛 (生方鼎齋・不動山人:上毛の人)
岩下貞融 (岩下櫻園・管山:信州の人)
中村正 (中村雪窓:相模津久井の人)
北原穎 (北原桐雨:土佐の人)


『玉池吟社詩』巻4 (ぎょくちぎんしゃし) 玉池吟社門人アンソロ ジー

森田居敬 (森田梅礀:土佐の人)
森謙 (森玉岡・笠道人:江戸の人)
黒澤彝任 (黒澤:神皋の江戸人)
多賀為綱 (多賀鏡湖:美濃の人)
源幸道 (源碧洞道人:上毛岩櫃山の人)
橋鑑 (橋晴村:越後の人)
佐藤得 (佐藤醒庵:越後の人)
阪野福 (阪野耕雨:下総の人)
阪野法 (阪野行齋:耕雨の息子)
戸田信一 (戸田滄洲:久留米藩臣)
岡崎(岡埼)歸一 (岡埼桐庵・更山:美作の人)
源敬業 (源水石・弘軒:富山の人)
田中恕 (田中脩道:越後の人)
橘繼 (橘三洲・西山樵夫:越後の人)
橘頌 (橘湘雲・鷗汀:越後の人『玉池吟社詩』凡言作者)
大石篤 (大石肬齋:江戸の人)
栢倉信 (栢倉三島:最上の人)
加藤潜 (加藤蘭山:奥州の人)
百百祉 (百百笈堂:美濃の人)
鈴木邦 (鈴木松塘・東洋釣史:安房の 人)
長島氏 (長島青雀女史:佐渡の人)
篠田氏 (篠田雲鳳:伊豆下田の人)


『玉池吟社詩』巻5附録 (ぎょくちぎんしゃし) 玉池吟社門人アンソロ ジー

釋 泰囧 (梅癡道人:阿波の人)
釋 密乗 (南園:美濃の人)
釋 智鳳 (思玄道人:遠州法多山の人)
釋 無等 (忘筌:出羽の人)
釋 良慶 (雲巣・餐霞:信州の人)
釋 秀巖 (牛洞道人:美濃の人)
釋 亮順 (目次のみで掲載なし)

※ 後版ではこの巻末に後藤松陰の跋(既出)が入る。

【後版 第12冊】

『紅蘭小集』 辰

『紅蘭小集』巻1 芙蓉鏡閣集(文政3年12月〜天保元年2 月) 原藁 古今體共183首。刪存69首。

『紅蘭小集』巻2 芙蓉鏡 閣集(天保元年3月〜11年11月) 原藁 古今體共130首。刪存62首


濃山群峰

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