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頼山陽実甫帖(復刻)


頼山陽実甫帖  実甫帖

頼山陽実甫帖

らいさんようじっぽちょう

明治十二年 神田孝平跋

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戴曼公書。世時有之。特
此巻書帰去来詞。甚可
念也。此詞多書者。書於
曼公故、可愛可敬也。實-

p48  p47

-父購獲又自作長句歌之。
言其潔身蹋海。如桃源
之避秦。与陶異代而同心可
謂曼公之知己。世亦有得

張瑞図・王覚斯・銭謙
益輩筆。什襲之者
如以錦綉裹糞穢。
吾見其両目雖在。与矇同。

p50  p47

如實甫眇一目。其光乃如炬也。
皇天保二年歳在
辛卯秋八月

頼襄敬識

吾嘗在西海、見曼公和老杜秋興詩-
稿。叙神州陸沈。九廟腥羶之歎。於邑-

p52  p51

歔欷。如聞其声。吾欲獲之論価不
成而止。聞實甫逢此巻、倍原価取之。
吾為之悵然。已而赧然。
頼又識

戴曼公(独立禅師)の書。世時これ有り。特に此の巻、帰去来の詞を書ける、甚だ念ふべき也。此の詞書く者多し。
曼公における書、故(ことさに)に愛すべく敬すべき也。實父、購ひ獲て又自ら長句を作して之を歌ふ。
其の身を潔くして海を蹋み、桃源(桃源境)の秦を避くるが如く、
陶(淵明)と代を異にして而して心は同じきことを言へり。曼公の知己と謂ふべし。
世にまた張瑞図・王覚斯・銭謙益輩の筆を得て、之を什襲(秘蔵)する者有り。
錦綉を以て糞穢を裹(つつ)むが如し。吾れ其の両目の在ると雖ども矇(めくら)と同じきを見る。
實甫の如き、眇(すがめ)一目にして、其の光は乃ち炬の如く也。
皇天保二年歳在辛卯秋八月
頼襄敬識

吾れ嘗て西海に在りて、曼公が老杜(杜甫)の「秋興」に和する詩稿を見る。
神州の陸沈、九廟腥羶の歎を叙せり。邑における歔欷、其の声を聞く如し。
吾れ之を獲んと欲すれど価を論じて成らず而して止めり。聞く、實甫の此巻に逢ふて、原価に倍して之を取ると。
吾れ之が為に悵然、已にして赧然たり。
頼又識

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p58  p57

p60  p59

敝園有絮之柳。
欲挿於公之園。
来請一枝。疾速
命僮。折両枝附
价。陽和将動之候。
真宜挿扞也。但
扞之之法不可不謹。
其上梢
剪之斜。欲其不腐
於雨也。其下根亦剪
之斜。欲其穿土深
入。而皮不掲也。餘不
一々。何時見其漫々

p62  p61

攪天。点公書案。
布公階砌也。正月廿三日。
信侯卜居。昨日往飲。憶起公及士錦也。
柳溪足下  襄

昨夜老夫不飲。使足下
独酌独酬。寂寞太
甚。今夜則為別酒。当
同酔也。昨夕所約鼈。
孤品寥々不足以侑
杯。僕当走家婢。就沙
河店。取幾種河鮮

p64  p63

来。雖価少昂、而興
亦従揚。足下必舎
彼取此也。専此奉告。
不一。 八月廿八日。

二白。先夜所見贈長篇。
浄録携来為妙。
僕受託者。亦当了。
唯恨信侯在制。不得同
来耳。有近
文字。取来見示。為聚首想。亦可。

實杜実友  襄

敝園の有絮の柳。公(あなた)の園に挿さんと欲し、来りて一枝を請ふ。疾速、僮に命じ両枝を折り价(使ひの者)に附す。
陽和まさに動かんとするの候、真に挿扞するに宜しき也。但だし之を扞するの法、謹まざるべからず。
其の上梢、之を剪ること斜めにして、其の雨に腐らざらんと欲する也。
其の下根も亦た之を剪ること斜めにして、其れ土を穿つこと深く入らんと欲す。
而して皮は掲げざる也。余は不一不一(紙面に尽くせず)。
何れの時か、其の漫々と天を攪し、公の書案に点じ、公の階砌に布くをを見ん。正月廿三日。
 信侯卜居せり。昨日往きて飲む。公および士錦を憶ひ起せし也。
柳溪足下  襄

昨夜、老夫(わたし)は飲まず。足下を独酌独酬せしめ、寂寞太だ甚し。今夜は則ち別酒と為れば、当に同に酔ふべき也。
昨夕、約せし所の鼈(すっぽん)は、孤品寥々にて以て杯を侑むに足らず。
僕、当に家婢を走らすべく、沙河の店に就きて、幾種か河鮮を取りて来させたり。
価は少しく昂しと雖も、而して興また従揚、足下必や彼を舎(捨)て此を取らん。専ら此を奉告す。不一。 八月廿八日。

二白。先夜贈られし所の長篇。浄録し携へ来たるは妙為り。僕受託せし者はまた当に了すべし。
唯だ恨むらく信侯の制する在りて、同来を得ざるのみ。近文字有り、取り来て示さる。首の聚まりたる想ひ為りて、また可なり。

實杜実友  襄

奥付  跋

[跋]
故柳溪丈人師事山陽翁貯翁筆蹟頗多丈人没
後諸子蚤世翁筆蹟概帰宗家要二氏明治滄桑
後要二氏家道困頓嗣子学資不給余聞之乃贍
学資欲玉其成而翁筆蹟数紙與嗣子倶帰於我
家於東京矣余又聞有翁書係丈人旧蔵者存于世
或購置之或借写之合為此一帖亦取以追慰丈人
意也丈人姓神田名充字実甫美濃人善詩著有
南宮詩鈔 明治十二年二月姪孝平識

故柳溪丈人(杖人:老人)、山陽翁に師事して翁の筆蹟を貯むること頗る多し。丈人没して後、諸子蚤世し、翁の筆蹟は概ね宗家の要二氏に帰す。
明治滄桑の後、要二氏の家道困頓して嗣子、学資を給せられず。余これを聞きて乃ち学資を贍(すく)ひて其の成ること玉(ぎょく)たらしめんと欲す。
而して翁の筆蹟数紙と嗣子と倶に東京に我家に帰せり。
余、また翁書の丈人旧蔵に係る者、世に存すと聞く有れば、或は之を購ひ置き、或は借りて之を写し、合して此の一帖を為せり。
また取りて以て丈人を追慰する意也。丈人、姓は神田、名は充、字は実甫、美濃の人。詩を善くし著に南宮詩鈔あり。
 明治十二年二月、姪(甥)孝平識す

[奥付]
明治十二年三月五日版権免許

   編輯並出版人 東京神田淡路丁二丁目九番地 神田孝平

   発売書肆 東京日本橋三丁目拾四番地 丸屋善七

          

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