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小林華山(こばやし かざん)(長良村在:1834 天保5年〜1914 大正3年11月20日)

伊藤信著『濃飛文教史』1937博文堂書店刊より

小林長平、諱は重興、字は如山、華山と号した。本姓は山田、旧加納藩士、山田畊八の第二子である。天保五年(1834)九月、加納に生れ、年十八にして小林の養子となった。
小林の祖、重基は武蔵国秩父荘司畠山重忠の孫、上野国盛岡城主小林但馬守正盛の子である。
四代小林出羽守正忠は武田信玄に属せしが武田滅亡後軍役を辞して帰農し同国緑野郡泉村の郷士となった。正忠の孫五郎兵衛重搋の時、上州高崎城主安藤対馬守信侯の召に応じて年寄職加判役を勤仕し四百石を給った。正コ元年(1711)安藤侯加納城主となるに随伴し来り、のち子孫重職を襲ぎしが、宝曆五年(1755)五代の孫、小林新平忠隆、安藤侯減封の事あるに際し、町奉行職を辞して、長良村に徙居し、のち代々漢学筆道を業として子弟を教誨した。

長平、幼にして学を好み、加納藩儒吉田東堂に従って業を受け、後また土佐藩儒中島錫胤(勤王家のち男爵)に師事した。
明治五年、官命により師範研習学校に入り、卒業の後自家を以て長良精勤義校(現長良小学校)に当って子弟を教育した。後また命を受け飛騨中学校の創立に尽す所あり、帰郷後、郷に進徳私塾を開きて徒に授け、遠近の子弟来り学ぶ者が多かった。
其の人を誨ふるや、諄々として倦まず、其の講説訓詁に泥まず、大義を指授し、人をして惟ふて自得せしめた。
小林、人と偽り、温厚寡言、澹然として世に求むる所がなかった。家居無事、一室に儿坐し、潜心耽読、邪寒暑雨と雖も終日徹宵研精休まず、常に鶏鳴を聞きて寝に就くを例とした。其の刻苦知るべきである。
また武事を好み、劔道、槍術は最も堪能とする所である。詩友三宅樅臺、国井清廉等と親交深く、互に批正応酬する処があった。

晩年「三才教」を創立し、心血を注ぎて大いに布教に勉めた。其の教は天地人三才の一致を説き、人は上下、貴賤、男女、老幼を論ぜず、其の盛衰、存亡、貧富、艱難、困窮、栄華、悉く其の人の善悪、邪正に因り、天の応報の喜ぶべく、恐るべき因縁ある道理を説いたもので、最も甚深微妙の趣旨がある。一部の三才経は以て其の趣旨の在る処を窺ふことが出来る。

道之為本天也。地則基其命。而日月星辰森羅万象懸於天。君臣父子夫婦兄弟朋友禽獣虫魚草木諸物皆在於地。
自太古至於今。人物莫不受天地之化育。是所以可弁其始終無窮之道也。然而人能知得其道者少矣。
夫春夏秋冬為始終是天道。而人之生死亦如此。則天地所以為萬物之主宰也。
故為人者不可不知己善悪。何則天地之為所主宰者也。彼禽獣虫魚草木之類如何知為善哉。
人固万物之霊長也。故士之所重文武。農之所重稼穡。工之所重器械。商之所貿易。
各従事於茲励精至誠。則天神地祇鑿定之。父母祖母祖宗喜悦之。
必賚諸慶福。子孫繁栄家運長久。亦奚疑。
然而天之為分也。日司昼。月司夜、星司五行。而有春分。有秋分、有二至六甲。
至若火生於日。水生於月。草木生於地。金石生於山。是地之分也。
人有五倫亦分。而鳥獣虫魚不知其分。是其稟性所以異於人也。夫既如此。
故人而不識為人之分。与鳥獣何撰。須弁知善悪之応報焉。
是故人之在世也。尊天地敬鬼神。忠君主。孝父母。友兄弟。夫婦和順。信朋友。応畏天命尽人事也。
抑人之生也。是死之始。死是生之始。故生死来往。無往不還。
如是生生存存与天地無窮。是之謂三才之道。
則欲知死之後。須原生之前。昼夜死生。寤寐死生。呼吸死生也。
蓋群生也者皆畏死。人豈可畏死哉。応於不死之時知不畏之道。
吾身是天地之物。而死生之道在天地。則吾之生自天。而其死亦自天焉。而人未曽知在天命也。
是故精神之在吾身也。由天命生父母之家。而死則在死生之間。是無中有象也。
又何憂何懼。原始反終。其宜観春夏秋冬代謝。日月之為昼夜焉。
抑精神霊明而来去如日月。与天地無窮。嗚呼人其可不思天地之道乎哉。

道の本と為すは天なり。地は則ち其の命を基とす。而して日月星辰森羅万象は天に懸る。君臣父子夫婦兄弟朋友禽獣虫魚草木諸物は皆な地に在り。
太古より今に至る。人物として天地の化育を受けざるは莫し。是れ其の始終無窮の道を弁ずるべき所以なり。然れども人の能く其の道を知り得る者少なし。
夫れ春夏秋冬の始終を為すは是れ天道なり。而して人の生死もまた此の如し。則ち天地の萬物の主宰と為す所以なり。
故に人と為る者は己の善悪を知らざるべからず。何となれば則ち天地の主宰する所と為す者や。彼の禽獣虫魚草木の類ひは、如何に善を為すこと知らん哉。
人はもとより万物の霊長なり。故に士の重くする所は文武なり。農の重くする所は稼穡なり。工の重くする所は器械なり。商の重くする所は貿易なり。
各のおの茲に従事して励精至誠。則ち天神地祇、之を鑿ち定め。父母祖母祖宗は之を喜悦す。
必ずや諸(これ)に慶福を賚(たま)はん。子孫繁栄し家運は長久。また奚(なん)ぞ疑はん。
然れども天の分と為すや。日は昼を司り。月は夜を司り、星は五行を司る。而して春分あり。秋分あり、二至(夏至と冬至)六甲あり。
火は日に生じ。水は月に生じ。草木は地に生じ。金石は山に生ずる若(ごと)きに至る。是れ地の分なり。
人は五倫ありてまた分かる。而して鳥獣虫魚は其の分を知らず。是れ其の性を稟ける人と異なる所以なり。夫れ既に此の如し。
故に人にして而して人たるの分を識らざるは。鳥獣と何ぞ撰ばん。須らく善悪の応報を弁知すべし。
是の故に人の世に在るや。天地を尊び鬼神を敬し。君主に忠に。父母に孝に。兄弟に友に。夫婦和順し。朋友を信じ。応に天命を畏れ人事を尽すべき也。
そもそも人の生きるや。是れ死の始めなり。死は是れ生の始めなり。故に生死来往し。往きて還らざるは無し。
是の如く生生存存、天地と与に無窮なり。是れ之を三才の道と謂ふ。
則ち死の後を知らんと欲すれば。須らく生の前を原(たづね)るべし。昼夜の死生。寤寐の死生。呼吸の死生なり。
蓋し群れ生きる者は皆な死を畏る。人あに死を畏るべけん哉。応に不死の時に於いて死を畏れざる道を知るべし。
吾身は是れ天地の物。而して死生の道は天地に在り。則ち吾の生は天よりし。而して其の死も亦た天よりす。而して人は未だ曽て天命在るを知らざる也。
是の故に精神の吾が身に在るや。天命に由りて父母の家に生れ。而して死すれば則ち死生の間に在り。是れ無中に象有る也。
又た何ぞ憂へ何ぞ懼れん。始めを原ね終りに反(かへ)る。其れ宜しく春夏秋冬の代謝。日月の昼夜を為すを観るべし。
抑も精神の霊明にして而して来去するは日月の如く。天地と与に無窮なり。嗚呼、人それ天地の道を思はざるべけん哉。


其の説に拠れば、吾人の精神は天地と倶に永久にして、其の徳大ならば神と為り、神とならざる人は、また生れ来るとなせり。之れ一種の宗教である。
惜しい哉、布教未だ善からずして、大正三年(1914)十一月廿日、冷水浴中卒倒し、時余にして歿した。享年八十一。長良崇福寺に葬った。
配は鷲見、一男六女を挙げ、長子一郎、家を襲いだ。華山、学博く和漢に通じ、余暇詩賦を好み、最も古詩に長じた。  (小林家文書、濃飛文教史、加納藩文書)

偶作
棲遲仙境翠微間。出岫閑雲往又還。朝暮曽使人嘲笑。閑雲不似野人閑。
棲遲(隠遁)仙境、翠微の間。岫を出づる閑雲、往き又た還る。朝暮かつて人をして嘲笑せしむ。閑雲は野人の閑に似ざると。

暁竹
玉露玲瓏湿紫苔。緑隠如水暁煙開。翩躚回夢風吹影。朝日満簾鳴鳳来。
玉露、玲瓏たり、紫苔を湿らせ。緑隠、水の如く暁煙を開く。翩躚(へんせん:ひるがへり)夢を回(めぐ)らせ、風影を吹き。朝日、簾に満ちて鳴鳳来る。

観月行
暮天無雲吟眸開。爽氣横秋満楼台。掌上忽動金波影。皎皎明月映杯来。
挙杯失酹蒼空月。為君今宵醺吟骨。嫦娥応笑杯頻傾。御風逍遥游月窟。
雙脚勃窣舞僛僛。彷佛呉剛矻桂姿。今夜佳興人知否。此心只有明月知。
聞説月宮攀香桂。紅粉翠城観妝麗。一部未閲霓裳曲。秋風遽爾醒唐帝。
嗟呼吾忠古亦沈吟。夢耶幻耶無所尋。咲抛身世付一酔。欄外月傾夜色深。


暮天、雲なく吟眸開き。爽氣秋に横たはり、楼台に満つ。掌上忽ち動く金波の影。皎皎明月杯に映りて来る。
杯挙げて失酹す(溢す)蒼空の月。君が為に今宵、吟骨に醺(酔)ふ。嫦娥まさに笑ふべし杯頻りに傾くを。風を御して逍遥して月窟に游ぶ。
雙脚、勃窣(ぼっそつ:ゆっくり)僛僛(ゆらゆら)舞ひ。 彷佛す呉剛の桂に(桂を伐らんとして)矻(疲れ果て)たる姿を。今夜の佳興、人知るや否や。此の心ただ明月のみ知る有り。
聞く説らく月宮、香桂を攀(ひ)き。紅粉、翠城、妝ひ麗しきを観る。一部未だ閲せず(楊貴妃の)霓裳の曲。秋風、遽爾(不意に)唐帝(玄宗)を醒ます。
嗟呼、吾れ古へに忠にして亦た沈吟。夢か幻か尋ぬる所なし。咲(わら)って身世を抛って一酔に付す。欄外に月傾き夜色深し。


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