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言霊の人

『言霊の人 棟方志功』

2015.12.01 里文出版刊 石井頼子 著
18.8cm 342p 並製カバー 2300円

石井頼子様より新著 『言霊の人棟方志功』(平成27年12月里文出版刊)および、新学社制作のすばらしいカレンダーの御寄贈に与りました。
ここにても御礼を申し上げます。ありがたうございました。

雑誌連載をまとめられたものですが、棟方志功が関はった文学・文学者との交流について、寝食を共にした家族ならではの立場から、残された手紙資料なども駆使し、 大胆な推論を交へたレポートがなされてゐます。板画業の発生・展開に沿って選ばれた各章の人物は下に挙げた通りで、同一人物に費やされる連載回数はそのまま画伯との関はりの深さを示してゐます。 そもそも画壇との交流の薄く、風景を観るに心の眼に拠り、文章に強い執着を示したといふ棟方志功。詩歌作者との関係は、単に画題提供にとどまらぬ側面があったはずで、 本書はその人となりを、近代詩歌との親炙性に特化して論じた初めての本であるといっていいと思ひます。

象徴的なのは、保田與重郎に相応に3章(連載)も費やされてゐることかもしれません。20〜30年前までは、憚られることはあれ、決して名声に資することはなかった日本浪曼派の文学者たちとの関はりが、 斯様にとりあげられ語られることは考へられなかったことであり、さらにそれ以前の、最初に雄飛するきっかけとなった画題を提供した詩人佐藤一英との関係も、踏み込んだ推論をもって語られてゐます。 曰く、その「大和し美し」が保田與重郎との交流を深める過程でモチベーションが温められていったのではといふことや、詩人との交流が以後それほどには深まらなかった理由についても――つまり「大和し美し」の後、 「鬼門」といふ詩篇にふたたび触発されて制作されたと思しき「東北経鬼門譜」が、絶対的師匠である柳宗悦に認められず改変を命じられたこと。その結果、師が没するまで大きな画題にはチェックが入り、 それはそれで適切な教育係によって彼が仏教に開眼する訳ですが、柳宗悦が没するまで、遂に故郷への濃密な思ひさへ断ち切る選択をしたのではなかったか、といふ条りには瞠目しました。

他にもデビュー当時に彫った、宮澤賢治の生前に成った「なめとこ山の熊」の版画のこと、 郷里青森の新聞連載小説の挿絵を描いた「これまで世に出たどの図録にも年表にも自著にも掲載されていない、幻の仕事」を考察する段(その三十中村海六郎)においても、 著者自ら本書の各所で「穿ちすぎであろうか」と断ってゐますが、一歩も二歩も踏み込んだ推論がかくやあるべしと思はれ、水際立ってゐるのです。

もちろん生涯を通じて恩恵を被った民芸運動の指導者たちやパトロン、あるひは俳壇・歌壇・文壇の宗匠・文豪クラスのビッグネームについては戦前、富山疎開時代、 戦後を通じて十全のページが割かれ、魂を太らす大切な交流が描かれてゐます(安心してください 笑)。初対面で意気投合した河井寛次郎が画伯を伴って帰る際「クマノコ ツレテ カヘル」と電報を打ち、 京都の河井家を騒然とさせた笑ひ話など、数々の「らしい」人となりを伝へる頬笑ましいエピソードもふんだんに盛られてゐます。しかし戦争に関はり、 大方は戦後を不遇で通した詩人たちについて――詩壇に君臨した同じ東北出身の草野心平や、いっとき野鳥や骨董や趣味の悉くに傾倒した蔵原伸二郎はともかく、 山川弘至・京子夫妻といった人たちにまで公平に一章が手向けられてゐることには、時代が変ったといふより、著者の心映えを強く感じずにはゐられません。 このあたりがこれまでの評伝や図録解説とは大きく異なるところではないでしょうか。

さうして本書には、「柵」として成った「板画巻もの」の作品のみならず、五百冊以上にものぼるおびただしい装釘本の仕事についても言及があります。 山川夫妻の著書の他、さきにのべた日本浪曼派との関はりは主にこれにあたるといっていいでしょう。

保田與重郎のなかだちによって、蔵原伸二郎の『東洋の満月』そして保田自身の『改版日本の橋』を初めとする装釘仕事が開始しされ、

「あばれるやうに彫り、泣くやうにして描きまくって」「何年間に亙ってなす修業を、何日かで終ふるやうな荒行」※

とも見紛ふばかりの無茶苦茶にいそがしい当時の仕事ぶりが写されてゐます。その結果、「日本浪曼派叢書」ともいふべき「ぐろりあそさえて」の35冊や、 数々の伝統派文芸雑誌の表紙を飾ることになった、土俗的民族的生命感あふれる意匠の肉筆画が表象するところのものによって、棟方志功は日本浪曼派の意匠的代名詞のやうに世間から目されることになるのです。

「大東亜戦争に入った頃、私は新宿の一番大きい書店の、飾窓や、書物販売台が、内容は個々だが、棟方画伯の装釘本ばかりで埋められているのを見て、 驚嘆したことがあった。前代未聞、後世にも想像できない壮観だった。」※

『棟方志功全集』第一巻序文※に寄せられた保田與重郎のこの一文には、文壇の一時代を象徴する感慨を感じざるを得ません。

既製の棟方像において語られることのなかった、かうした戦前文学者との渝らぬ交流が、平成の現在になってやうやく、御令孫にして女性ならではの眼によって拘りなく語られるのを読みながら、 私は胸のすく思ひがし、時代の変化を実感することができました。そして戦後二度目の雄飛により「世界のムナカタ」に跳躍してゆく過程で、周辺で何がおき整理されていったのか、 画伯をサポートする新しい人脈の出現とスタイルの確立との関係についても分かるように綴られてをり、得心したことでした。

画伯自身は、周りが種々の雑音をスポイルせねばならなかったであらう多忙な創作生活にあっても、師友との交流だけは大切にし、保田與重郎との友情についても生涯憚ることはありませんでした。 それだけに『保田與重郎全集』45冊の装釘が当然あるべき姿にならなかったことは、当時私も驚いたところで、後日談に分のある著者にして感想をお聞きしたかったところです。 とまれ戦後、画伯はその板画が世界に認められることにより、当時の仕事に対する仕事以上の想ひ入れの有無についてことさら問はれることもなく済んだのであります。 多くの文学者がさうしたやうに、そこで戦前の柵(しがらみ)と縁を切ってもよかった筈。しかしさうはならなかった。両者の思ひ余さず語られた言葉を引いて著者は最後に

「棟方の「芸業」はすべて「想ひ」から生まれたものと保田は説く。長い親交を通じて、棟方の「想ひ」の真の理解者が保田與重郎であった」

と締め括ってをられます。

 拙サイトに偏した紹介とはなりましたが、ここにても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

目次

その一 棟方志功
その二 「修証義」
その三 「善知鳥:うとう」
その四 福士幸次郎1
その五 福士幸次郎2
その六 川上澄生
その七 宮澤賢治、
その八 佐藤一英、
その九 蔵原伸二郎、
その十 會津八一、料治 熊太
その十一 保田與重郎1
その十二 保田與重郎2
その十三 保田與重郎3
その十四 河井寛次郎1
その十五 河井寛次郎2
その十六 大原総一郎
その十七 前田普羅、石崎 俊彦1
その十八 前田普羅、石崎 俊彦2
その十九 永田耕衣
その二十 山川弘至、山川 京子
その二十一 石田 波郷1
その二十二 石田 波郷2
その二十三 原石鼎1
その二十四 原石鼎2
その二十五 岡本 かの子
その二十六 吉井 勇
その二十七 谷崎 潤一郎1
その二十八 谷崎 潤一郎2
その二十九 谷崎 潤一郎3
その三十 中村海六郎
その三十一 「瞞着川:だましがわ」
その三十二 柳宗悦
その三十三 ウォルト・ホイットマン
その三十四 小林 正一
その三十五 松尾 芭蕉
その三十六 草野 心平
その三十七 棟方 志功

【付記】

 本書を繙く際、是非一緒に広げて頂きたい図録があります。

図録 『「世界のムナカタ」を育んだ文学と民藝:高志の国文学館企画展』 2013.11 高志の国文学館(富山)刊行 80p 30cm並製です。

p1 p2  p3

 棟方志功の画業に関して出された画集・図録は数々あれど、書籍の装釘にスポットを当てたものは少なく、本書『言霊の人』のなかでも紹介されてゐますが、 膨大な志功装釘本の全容を解明すべく収集に努めてこられた山本正敏氏(富山県埋蔵文化センター所長)のコレクションから、郷土の文学館の企画展で披露された永年の成果がカタログ化されてをり、主要な「柵」と同列に、 ほとんど本書の章立てとも対応するやうに並べられてゐます。
 美しいカラー図版に盛られたこれら書影の数々が、文芸との関はりにスポットを当てた本書を読む際の最強の補足資料となることは間違ひありません。

目次

ごあいさつ 1p
棟方志功の板業や人物像に対する文学の視点 ―なぜ文学館で棟方志功展なのか― 福江 充 3p

第一章 棟方志功の装画本からみる文学とのかかわり

 棟方志功装画本の世界 山本正敏 8p

 児童文学の挿絵10p
 初期装画本12p
 日本浪曼派作家の装画本(保田與重郎・中谷孝雄)14p
 保田與重郎の周辺の周辺1 16p
 保田與重郎の周辺の周辺2 18p
 ぐろりあ・そさえて社の装画本20p
 戦前の装画本1 22p
 戦前の装画本2 24p
 民藝運動とのかかわり26p
 郷土作家の装画本28p
 郷土の文芸雑誌1 30p
 郷土の文芸雑誌2 32p
 戦後の装画本1(谷崎潤一郎・吉井勇)34p
 戦後の装画本2(今東光・村松梢風ほか)36p
 戦後の装画本3 38p
 戦後の装画本4 40p
 戦後詩壇の装画本42p
 戦後歌壇の装画本44p
 戦後俳壇の装画本46p
 戦後雑誌の装画48p

第二章 棟方志功と民藝運動

 棟方志功と民藝運動 52p

 板画「大和し美し」53p
 板画「華厳譜」54p
 板画「空海頌」55p
 板画「善知鳥版画巻」56p
 板画「夢応鯉魚版画柵」59p
 板画「二菩薩釈迦十大弟子」60p
 板画「女人観世音板画巻」61p
 板画「流離抄板画巻」62p
 板画「瞞着川板画巻」63p
 安川カレンダー瞞着川頌65p

《ことば》の人 棟方志功 渡邊一美66p
【特別寄稿】世界のムナカタと「立山の文学」・一枚の版画から 奥野達夫 68p
棟方志功略年譜 70p
出品目録74p
謝辞80p


棟方志功の眼

『棟方志功の眼』

2014.02.10 里文出版刊 石井頼子 著
18.8cm 163p 並製カバー 1800円

  冒頭と巻末に、それぞれ

「淡々とした職人のような生活の中から厖大な作品が生まれた。そこにはおそらく多くの人が抱くイメージとは少し異なる棟方が居る。4p」

「映像ではいつも制作しながら鼻歌を歌ったり、しゃべったりしているんだけど、それは映像用のパフォーマンスで、実際はそうじゃない。 今「そうじゃないんだよ」と言い続けているのは、実際の棟方の方がもっと面白いからです。162p」

 と記されてゐますが、とかく奇人扱ひされることの多い棟方志功そのひとの普段着の様子を、間近にあった祖父の記憶として織り交ぜながら(扉の写真がなんとも 笑)、 遺愛の品々をとりあげて、多角的な面から(画伯として・摺職人として・好事の目利きとして・道義の人として)論じてをられます。とりわけ著者の絶対的な信頼が、適度な客観視を許す描写となってゐるところが、気持ちよく感じられました。

「雨の予報が出ると家の中がわさわさし始め」「画室中に張り巡らされた洗濯紐にぬれぬれとした作品が万国旗のように翻る」話や、 スピンドルバックチェアを疎開のために梱包するのに使はれた十大弟子版木の話、テープレコーダが届くと孫を前に突然歌ひ出されたねぶた囃子のこと、 そして手も足も出ぬ入院中の境遇をたくさんの達磨に描いて人々に送った話など、興味は尽きません。もっとも古本のことしか知らない私にとって、師と仰ぎ、交歓をともにされた民藝運動の巨擘の面々はもとより、 連載時毎に話題に挙げられた「萬鐵五郎の自画像、コンヴィチュニー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェン交響曲全集、河井寛次郎の辰砂碗、 尾形乾山の掛軸、サインに付された折松葉の意匠、通溝の壁画、梁武事仏碑懲忿窒慾の拓本、有名な「棟」の陶印、胸肩井戸茶碗、上口愚朗の背広、」などなど・・・無学者はインターネットで検索しては、 一々確かめながら読み進めていったやうな次第です。

 カラー写真がふんだんに使用されてゐること、巻末対談における深澤直人氏(日本民藝館館長)とのやりとりのなかで披露された、 お二人の含蓄ある鋭い観察がまた読みどころとなってゐます。

深澤氏 「ただ民藝と棟方志功は別で、棟方志功は完全なアーティストだと私は思っている。民藝というのは自分が作家だと思ってない人がつくったものです。ここが大きく切り分けるところなんです。 棟方志功が上手いも下手も関係なくグアッとつくっていける強さと、ほんとに下手な人が一所懸命につくったものの良さとは違います。154p (中略) 可愛いというのは、 完全じゃないというもっと別の魅力になってくるんです。それが民藝館を支えている大きなファクターで、そのなかの一番の魅力が棟方志功のなかにも脈々と流れている。157p (後略)」

石井氏 「古語で言うところの「なつかしい」という感じ。郷愁ではなくて、心がやさしく寄り添うという意味合いですね。158p」


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