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溪 毛芥 たに もうかい (1818 文政元年 〜 1883 明治16年)

 大垣船町誓運寺十三世住職。幼くして神田柳溪に師事し詩文経史を学ぶ。三上藤川とともに塾中の双璧と称されたが、天保八年、丁艱に伴ひ、京都の大含(雲華)上人の許で仏教を修め、住職を継いだ。弘化二年から明治五年まで寺内に私塾「芥子塾」を開き、また江馬細香の詩社「咬菜社」の一員として小原鉄心らとの詩酒徴逐を愉しんだ。先祖の地が越前大椙谷であったことから、明治になって苗字に「溪」を冠した由であるが、亡き師神田柳溪の名や、同郷の梁川星巌が同じく祖先を越前にもち、鴻雪爪をはじめ大垣藩また越前と関係深きことにあやかったものと思はれる。三男の梵語研究者の南條文雄により遺稿が刊行された。


溪 毛芥   『毛芥遺稿』

(もうかいいこう)

[1884 明治17年] 全1冊

表 紙

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裏 表紙


毛芥軸(『溪毛芥南條文雄父子展』1991大垣市教育委員会刊行より)



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